25日の夜は三宅先生のご招待で、ふたたび芦屋ベリーニへ。我が家から徒歩30秒の絶好のロケーションであるので、ほいほいとでかける。
本日のご会食のお相手は先般より三宅先生が「ぜひ一度会ってみてください」とご懇請のKー1のムサシ選手。それにプロゴルファーテスト挑戦中の若いゴルファーお二人と夙川学院のコーチという組み合わせである。いかなる戦略的企図のもとにこのようなメンバーが組まれたのかは余人の推し量ることのできぬことであるが、それぞれに大恩ある主治医のご招待で美味なるフレンチが頂けるのであるから患者としてもご指示に逆らうことは思いも寄らぬのである。
K-1のムサシ選手は、190近い身長で、体重は100キロ。しかし、実に繊細で気配りの細やかな好青年であった。考えてみれば当然である。
「間合い」をはかるのが専門なのであるから、コミュニケーション能力が高いのは当然だ。
私のような格闘技に無知な人間にも実に懇切にK-1の「見方」を教えてくれた。
私が興味があったのは、K-1のようなはげしいフィジカルな接触のある場面で身体感受性はどうなるのかということであった。
ある程度痛覚を殺しておかないと、痛みには耐えられない。
しかし、身体感受性を最大化しておかないと、相手から送られる微細な身体信号には反応できない。
身体感受性がとぎすまされていたら、当然痛みもそれだけ鋭いはずである、この矛盾を格闘家はどうクリアーするのか?
私はそれをムサシ選手にうかがってみた。
ムサシ選手の回答は、ある意味で私の予想通りであり同時に予想を超えるものであった。
それは「相手の攻撃を受けている時間」と「相手を攻撃している時間」は別の時間流であって、「相手を攻撃している時間」(それは未来の出来事である)が選手にとっては「現在」で、「打たれている今」は「過去」に分離されている、ということである。
だから、自分がどこにどんな種類の打撃を受けて、どれほどのダメージがあったかということははっきりと「記憶」されてはいるのだが、それはもう「リアリティ」を持たないのである。それより「まだ放っていない突きや蹴り」が遂行されて相手がリングにダウンしている「未来」に「現在」を同調させてしまい、「未来」をリアルに生きることで、「先の先」を取るのである。
これはラカンが「前未来形で生きられる私」と呼び、レヴィナス老師が「離-時」(dia-chronie) あるいは「アナクロニズム」(反-時間)と名づけたプロセスに通じるものである。
そ、そうだったのか。レヴィナスの洞見はK-1にも生きていたのか、と深く納得したのであった。
格闘技は奥が深い。
ぜひ次の大阪の試合には三宅先生のおともをして、リングサイドでムサシ選手の応援をしたいものである。
翌日は早起きして東京へ。
甲野善紀先生の「アシスタント」のお仕事である。
「アシスタント」ではあるが、連続数十分甲野先生の技のお相手をさせていただくわけであるから、見方を換えて言えば、「個人レッスン」でもある。
甲野先生の講習会は合気道会で何度もやっているが、私はあたふたと走り回るばかりの主催者であるので、先生に技をかけてもらうのはせいぜい数分程度にすぎない。まったくお相手ができないときだってある。
7月のリブロの対談のときも、聴衆のみなさんはわざをかけてもらっていたが、私はアルマーニのスーツが破れちゃ困るし、このあとの対談のまとめをどうしようか頭を悩ましていたので、ついに甲野先生にさわらずじまいであった。
先週、お電話でお話をしていたときに、「今度、あるところで技を見せることになっているのだけれど、受け手が足りなくて・・・」とこぼしておられたので、やりますやりますわたしでよければ使って下さいと立候補したのである。
おかげでたっぷり個人レッスンを受けさせていただくことができた。
聴衆は、晶文社の安藤さん、新潮社の足立さんはじめ、各出版社の「甲野番」編集者たち。
約5時間にわたる演武ののち、渋谷の「モンスーン」にて、甲野先生の「期間限定秘書」大出さん、本日の受けをとった防衛大学校で体育を教えておられる入江先生、松聲館門人の剣道家野村さんと打ち上げ宴会。
またまた談論風発、話頭は奇をきわめて転々。
この話題はそのうち晶文社から出版予定の甲野先生と私の「ヴァーチャル対談本・教育論」に採録されるはずである。これもお楽しみに。
今週末は信州の三軸修正法の池上先生のところに遊びに行くことになっている。
7月からあと、毎週のように斯界の達人たちとお会いする。どうしてこんなことになってしまったのか、ウチダにはなんだか訳が分からない。
とにかく、眼がくるくる回るような驚きの日々である。ふう。
(2003-08-26 00:00)