8月21日

2003-08-21 jeudi

共同通信に深作欣二本の書評を書いたら、つぎはキネマ旬報から『踊る大捜査線 The Movie 2』の映画評を頼まれる。
なんか「映画評論家」になったみたいだ。
『踊る大捜査線』はブロックバスター的なヒットで、すでに興行収入日本映画歴代二位の『もののけ姫』を抜いたそうである(歴代一位は『千と千尋』)。
どうして「あんな映画」がそんなにヒットするのか、その理由が判らないというキネ旬編集部からの依頼を受けて、「映画探偵」ウチダ(高橋源一郎の「文学探偵」のひそみにならって)が、その秘密を探り当てようという趣旨である。
映画を見るのが大好き、映画批評を書くのも大好きなウチダであるが、「映画批評を書くことが主たる目的で映画を見た」のは、考えてみると生まれてはじめてのことである。
これはあんまりよくないね。
せっかく一日の仕事を終えて夜の三宮に繰り出したのに、「お仕事の続き」気分が消えない。映画が始まる前のあの「わくわく感」がない。
映画評については『キネマ旬報』来月号をご覧下さい。
タイトルだけで、中身の見当がつくでしょうけど。
「哀しみの平成無責任男」

21日も終日お仕事。レヴィナス論も第三章にはいって、いよいよ佳境を迎えた。
「自分が何を書いているのか、本人にもよく判らない状態」である。
読まされる方はたまったものではないだろうが、本人はこの「ゲートの開いた状態」を経験するためにこそ学者をやっているのであるから、ご勘弁願わねばならない。

「とほほ」のさっちゃんが卒論の相談に来たので、竹園ホテルの二階でお茶する。
現代日本人の言語運用能力低下について書きたいのだそうである。
言語運用能力の低下は、言語的コミュニケーションの水準でおきている問題ではなく、それ以前の、非言語コミュニケーションの水準での「文脈のみきわめ」の能力低下の結果ではないか、という話をする。
「ことばの意味」は通じているはずなのだが、「とんちんかん」な対応をする人がどんどん増えている。
そういえば、このあいだの「ユダヤ文化論」の講義でも、すごいことがあった。

私が反ユダヤ主義者のさまざまな妄説を紹介して、「こんなふうな歪んだ世界観がホロコーストの前提にはあったんだよ」という話をしたのであるが、驚くべきことに、数名の学生が「ウチダ先生は『ユダヤ人が世界を支配している』と言ってますが、それは間違っています」というようなコメントをレポートに書いてきた。

あのね、私がそう言ってるんじゃないの。
『ユダヤ人が世界を支配している』と言っている人がいる、と申し上げたのである。

ところが、この学生たちにはどこまでが「私の地声」で、どこから「私が引用している他人の言葉」かの見極めがつかないのである。
その「段差」は他人の言葉を引用するときの「発声の変化」に反応できれば分かるはずである。
それができない子どもたちが増えている。
文脈の変化というのは、いまの「発声の変化」に見られるように、言語記号によってではなく、身体信号(音調、まなざし、表情、姿勢など)によって示される。(言語学ではこれを「モード特定信号」mode identifying signals と呼ぶ)
その身体信号の読み取り能力があきらかに今の子どもたちは落ちている。
おそらく遠因は三砂ちづるさんが指摘していたように、幼児期の母子関係にもあるのだろう。
子どもが泣いたりぐずったり震えたり熱を出したりというのは身体信号である。
その信号に母親が敏感に反応して、子どもの「いいたいこと」を察知してくれると、子どものコミュニケーションへの信頼は深まる。
逆に、いくら信号を送っても反応が得られなかった子どもは、コミュニケーションの達成経験が得られず、コミュニケーションの可能性に対して閉ざされてしまい、他人から送られる身体信号にも反応しなくなる。
そういう子どもはやがて「あらゆるメッセージを組織的に誤読する」ようになる。
そして、ゆっくりと、でも確実にコミュニケーションのネットワークから排除されてゆくことになるのである。
そういう人が増えて、もう30代にまで及んでいる。
困った時代である。

ドクター佐藤が芦屋市民となる。
わが家から歩いて5分のところに引越してこられたのである。
ホームドクターが徒歩五分のところにいるというのはたいへんに心強いことである。
さっそく歓迎の宴ということで、三宮の蓮で上海料理をいただく。
「海鮮おこげ」と「セロリと百合根のいためもの」がたいへん美味しい。
帰りにRE-SETに寄って、シャンペンなどを頂きつつ清談。
国分さん、橘さんも集まってきたので、「出版記念パーティ」の打ち合わせをする。
洋泉社の『子どもは判ってくれない』の出版に合わせてやりましょう、ということになる。
しかし、なんといっても、RE-SETは定員29名である。立食にするとしてもまず40名が限界。人数制限をしなければ、とても入れない。
楽しみにしていた読者の方々には申し訳ないけれど、今回は招待者だけの「内輪のパーティ」になりそうである。ごめんね。