8月10日

2003-08-10 dimanche

ひさしぶりに実家で一泊して、猛暑のなか午後の新幹線で帰宅。
読む本がなくなってしまったので、亡父の書斎で「夏の午後に新幹線で読む本」を探す。ヘミングウェイの『海流の中の島々』があったので、これを借りることにする。
最初に読んだのは駒場の頃だから、もう30年近く前になる。
そのころの私は飲酒の習慣がなかったし、パリの地理も知らなかったし、「ジョイスさん」が何ものかも知らずにただストーリーだけを追って読んでいた。
その後、仕事についても、離婚についても、父性愛についても、「クロズリー・ド・リラを出て、マロニエの長い並木道を歩いて、北の端の門からリュクサンブール公園に入り、オデオン広場の前の門から出て、横丁を二つ抜けるとブールヴァール・サンミシェル・・・」というパリの地理についても、いささか経験を積んだので、物語に深く入り込んでしまう。
ついでに美食と美酒についてもいささか経験を積んだので、お酒を呑む場面とご飯を食べる場面になると「ごくり」と生唾を呑み込んでしまう。
特に、鮫に襲われたあとのボートの上でのご飯が最高に美味しそうだった・・・。
もしあのとき新幹線の車内販売で「酢に漬け込んだ冷たいポテトサラダに、粗く挽いた黒胡椒をかけたの」と「ジン、ライム・ジュース、椰子の生汁、ぶっかき氷にアンゴスツラ・ビターズ、錆びたピンク色がほんのり出た」カクテルがあったら、私は間髪を容れず「おねーちゃん、ポテサラとジンライム」と叫んだであろう。

くらくらしながら芦屋に戻り、旅の汗を流す。
前夜から歯が痛み出したので、ナロンエースをがりがり囓りながら、『ギャング・オブ・ニューヨーク』を見る。
1840-60年頃のニューヨークを再現するために、ずいぶんお金をかけたそうであるが、オープンセットがそのわりには貧弱である。
それにレオナルド・ディカプリオはどうみても「いまどきの男の子」だし、キャメロン・ディアスはどうみても「いまどきの女の子」だ。
ダニエル・デイ=ルイスがひとりだけ「この世にこんな人間いるはずねーだろ」的キチガイ演技で浮きまくっていた。
ゲイリー・オールドマンといい、ウィレム・デフォーといい、デニス・ホッパーといい、クリストファー・ウォーケンといい、どんなゴミ映画に出るときでも目一杯「人外魔境人」になれる人はほんとうに偉いと思う。
1860年のニューヨークのワルモノはほんとうはディカプリオみたいじゃなくて、ダニエル・デイ=ルイスみたいだったんじゃないか・・・と一瞬私は思ってしまった。
その方がずっと素敵だ。

歯がいてーよーと泣きながらなので、蒸し暑い夜、なかなか寝つけない。