7月31日

2003-07-31 jeudi

文部科学省への申請書類をかかえて市ヶ谷の私学会館へ。受付で項目を点検して「はい、これで結構です」と言われてぺこりと頭を下げる。
やれやれ、これで2月26日から始まったプロジェクトがとりあえず終わった。肩の荷がおりた。夕刻学士会館に投宿。シャワーを浴びてから、寸暇を惜しんでシグマリオンをぱこぱこ打ってレヴィナス『困難な自由』の翻訳を続ける。

夜は新潮社の編集の方々と打ち合わせ。学士会館のレストランで接待して頂く。冷たいビールをのんで「学士ワイン」を酌み、スズキのポワレやビーフカツレツなどむさぼっているうちにすっかり上機嫌になり、勝手なことをいろいろしゃべる。学士会館のご飯はなかなか美味しい。8時半でオーダーストップなのでディジェスティフが十分には頂けないというのがいささか問題であるが、それを除けば、たいへん結構なお食事であった。
その勢いで、新潮新書に次に書く本は『14歳の子どもを持つ親のために』というタイトルとなることに決める。
一人で書くのは大変なので、ここは思春期の子どもたちの心の病の専門家である名越先生にお出まし願って、二人でケーススタディをする、という趣向はいかがであろうという話になる。もちろん、名越先生にはこれから「出演交渉」である。
再来週あたり、「爆走映画本」の対談でお会いする予定なので、そのときに頼んでみるつもりである。

「物書き廃業宣言」をしたあとも、仕事が少しも減らない。むしろ増えるばかりであるような気がする。(『合気道探求』と『ふらんす』と『学士会報』と『現代詩手帖』にしか書いてないんだけど、あ、けっこう細かいものも書いてるな。執筆時間40秒とか、3分半とかいうのは)
もにのよっては断るのに要する時間より書いてしまう方が短いので、時間の節約になるからである。
昔、我が家で総文の先生方をお招きして宴会をしたことがあった。
その日になって38度を超す熱が出て、ふらふらだったのであるが、あまりに苦しくて、先生方ひとりひとりにお断りの電話をする気力もなくふせっていた。結局そのまま宴会をしてしまったことがある。熱と酒で顔を真っ赤にして笑っている方がまだしも楽だったのである。
同じように、原稿の中には断る暇に書いてしまった方が早いというものもあったりするのである。しかし、そういうものの中に、けっこうあとあとのアイディアの胚珠になるようなものがあったりして、必ずしもの純粋な消耗ともいえないのである。

今日はこれから永田町の全共連ビルで「高等教育活性化シリーズ83・教員評価制度の導入と大学の活力」なるセミナーに出る。
教員評価の導入校はだいたい任期制とセットにしているようである。
本学も契約制・任期制教員を真剣に考慮しておくべき時期がきたように思う。
このまま教員を減員していったばあい、人件費総額は減るが、専任教員のカバーする学術領域は狭隘化するし、専門家同士の学際的な「出会い」の機会も減じるし、教員や学生数が多少減っても大学を運営するための基本的な仕事量には変わりはないから、教員一人当たり労働負担はどんどん過剰になる。要するに研究のための時間がどんどん減るということである。
結果的には、野心的な教員はよりよい研究環境を求めて他大学に逃げ出すだろうし、責任感の強い教員は研究との両立を求めて、過労でバーンアウトしてしまうだろう。
そのような事態をなんとか防がなければならない。
そのためには任期制の導入がおそらく不可避であると私は思っている。今日のセミナーはその勉強にきたのである。