研究室のマックのメーラーがクラッシュしてしまった。困ったことである。
このHPは家のウィンドウズマシンで作成した原稿をメールで研究室に送って、そこで処理して作成していたのである。だからメーラーがいかれてしまっては、人々が送ってくるホームページ日記をアップロードすることができない。
今書いているこの原稿は自宅のパワーブックで打っているのであるが、ふだん使い慣れないマシンなので、要領が分からない。
これがうまくアップできれば、ほかの原稿の処理方法も分かるのであるが、PCというのもときどき頓死するのが厄介である。
このところ研究室のPCも自宅のPCも元気に働いてくれていたので、安心していたのであるが、まことに油断ならないものである。
懸案の文部科学省申請書類を午前中かかって書き上げる。メールで学長室に送信して、とりあえず4月以来の宿題が片づく。
なんだか急に元気になって、去年の秋から放置したままのレヴィナスの『困難な自由』の翻訳を始める。スピノザ論の途中まで訳して、そこで頓挫していたのである。半年ぶりにレヴィナス老師のフランス語を読む。ああああ、全然わからん。
でも、よいのである。
なにしろスピノザはユダヤ教のことがある点までは分かっているが、ある微妙な点については理解が及んでいないという論旨の文章なのである。ウチダごときスピノザもユダヤ教もよく分かっていない人間にほいほい訳せるはずもないのである。
ほいほい訳せるようでは困る。
しかし半年ぶりの老師の文章は、まことに滋味あふれるものであった。ここしばらく自分の文章ばかり読まされていたので(校正やら申請書類やらで)、「賢者の文章」を読むのは、まことに眼前の「霧が晴れる」というよりは、「眼前を濃霧が覆う」という感じがするのであるが、それでよいのである。
当然のことであるが、私に分かっている話から私が学ぶものはない。
何を言っているのかさっぱり分からない話からこそ、私たちはなにごとかを学ぶのである。
ついでに『現代詩手帖』の高橋源一郎論も書き上げてしまう。
これはずいぶん時間をかけて書いた。
私はつねづね高橋源一郎は矢作俊彦から強い影響を受けたのではないだろうかと思っているのであるが、管見の及ぶ限りあまりそのことに言及しているひとがない。
「タカハシさん」という批評装置は矢作の『スズキさんの遍歴と休息』にインスパイアされたアイディアではないか、というような話を書く。
折りも折り、矢作俊彦の「若書き」である『DADDY GOOSE』の傑作選が復刻されたのでアマゾンで購入。
30年ぶりに「馬鹿馬鹿しさのまっただなかで犬死にしちゃうための方法序説」を読んで、その過激さに震える。
このとき矢作はまだ二十歳そこそこである。
これだけの絵を描ける漫画家がいまいるだろうか。
どうして矢作俊彦は漫画を描くのをやめてしまったのだろう。誰か知ってたら教えてください。
(2003-07-30 00:00)