7月18日

2003-07-18 vendredi

片目の二日目。
朝起きると痛みは少し収まってきたが、まだ片目で文字を凝視すると左目が痛む。
痛みに耐えつつメールにいくつか返信をして、大学へ。
今日は十日前にアポイントを取っていた院長との面談日。
松澤院長と一時間にわたってフレンドリーかつ率直な意見交換をする。
用件の第一は「トップ100校」申請作業の中間報告。
今年はダメかも知れないけれど、5年以内に2件は選定させられるでしょうと危ない手形を切る。
そのためには、学内における積極的な教育改革の取り組みを財政的制度的に支援する「リソースの選択的集中」のシステムをまず起動させなければならない。
そのようなシステム構築について院長からも同意を得ることができた。
それからいささか「つっこんだ話」になる。
もちろん「ここだけの話」であるのでこのような場所で公開することはできないのである。
教員評価システム、雇用の複線化、教養教育の再構築、大学院の強化、リソースの重点配分などについて院長のご意見を伺う。大筋では同意を頂けたようである。
学部学科の利害を超えて、純粋に大学の「生存戦略」に焦点化したコアな戦略研究会の立ち上げについても院長は前向きであった。

18歳人口は1992年の205万人から2008年には120万にまで減少する。
そのあと若干横這いのあと、21世紀の半ばには80万人にまで落ちることが予測されている。
単純計算であと半世紀後には、いま存在する大学短大の60%が消えるわけである。
実際にはアメリカの大学に現在すでに4万5千人が流れている。この数字はさらに増大するだろうし、イギリスも日本人学生の確保に積極的であるから、もっと早いペースで本邦の大学淘汰は進行するはずである。
これは近代日本の高等教育がかつて経験したことのない局面である。
あらゆる危機的局面でそうであるように、ここでも、どうやって生き延びるかについての汎通的なガイドラインは存在しない。
何が起こるか分からないときには、自分の頭で考えるしかない。
経験が教えてくれるのは、何が起こるか分からない局面では「フレキシブルで、汎用性の高い知性と身体」だけが生き延びられるということである。
それはイコール「フレキシブルで、汎用性の高い知性と身体」の育成を教育目標に定めた大学だけが生き延びられるということである。
そのためにはクールでリアルな計算が必要だ。

教授会を途中退席して、岡本の西崎眼科で抜糸してもらう。
ようやく両目が開いて、世界の風景が旧に復す。
やれやれ。目が見えるのはありがたい。

夜は前からのお約束で基礎ゼミ前期の諸君との「打ち上げ」で西宮北口に戻る。
思いがけなくも、ゼミ生諸君から「記念品」を頂く(フレッシュマンキャンプの朝にみんなで撮したとんでもない写真を飾った写真立てと「寄せ書き」)。
一年生の前期のゼミで学生から記念品を頂いたのははじめてのことである。ありがとう、みなさん。
この半年のゼミがみんなすごく愉しかったそうである(私もすごく愉しかった)。
今年から始まった基礎ゼミのコンセプトは正解だったらしい。
入学したばかりの学生にはゼミの教員を選ぶだけの判断材料がないから、一年生の前期ゼミは出席番号順ということが長く行われていた。
でも、私は自分自身の「師匠選び」の経験から、限定的な材料しか与えられていないときにこそ、ゼミの指導教員を選ぶためには「自分が求めているものは何か」をセンサーの感度を最大化して決定しなければならないという切迫そのものが、たいへんに教育的な経験となるに違いないと信じていた。
シラバスとオリエンテーションにおける数秒間の挨拶だけから「相性のよい教員」を見定めるというのは、新入生にとってはたしかにシビアな選択である。
でも、それはさきほどの話とも通じるけれど、何が起こるか分からないときには「センサーの感度を高めなければならない」ということを教える絶好の教育機会でもある。
もちろん、私のゼミも第一志望で来た学生ばかりではない。
でも、「直感的にウチダを第一志望に選んだ」何人かの学生がコアグループとなってくれたおかげで、ゼミの雰囲気ははじめからかなり「傾向的」なものであったし、その結果「大学に入ってすぐに、すごく気の合う友だちと出会った」という、なかなか望んでも得られない状況が現出したわけである。
話を伺うと、学生諸君はこれまで基礎ゼミ仲間と何度も合コンやらお泊まり会を重ねていたらしい。
そのあとどどどと二次会に雪崩れ込む学生諸君と駅頭でお別れ。まさか未成年の学生諸君を「センセイの行きつけの三宮のワインバー」に誘うことも許されぬ。二十歳になったら連れてってあげるから、楽しみにしていてなさいね。