7月10日

2003-07-10 jeudi

文部科学省主催の「特色ある大学教育支援プログラム応募要項説明会」に出張で炎天下上本町まで出かける。
説明会は昨日が東京、今日が大阪。二箇所でしかやらないから、名古屋から西のほとんどの大学から二名ずつの教職員が上本町に集まってくる(ここに来ていないのはもう生き残りをあきらめた大学と絶対潰れる心配のない大学だけである)。
文部科学省と大学基準協会の事務官から応募の説明を拝聴する。
そのあと質疑応答。どの大学の関係者も必死である。
トップ100校に選定されたからといって別に補助金が出るわけではない(申請内容にかかわる補助金申請をすると「選定の事実が斟酌される」だけである)。
今日来て分かったけれど、このコンペの目的の一つが来年四月から独法化される国立大学に「差別化とコスト意識」を求めるための「アメとムチ」的イベントだということである。
もちろん私学も選定されるとされないでは志願者の増減にいきなりかかわるから死活的に重用なコンペであることに違いはない。
とはいえ、「教育実践上のきわだって個性的な取り組み」一件だけ(大学の場合は学部レベル以上での規模の取り組み)しかアプライできない以上、過去数年以前から「生き残り戦略」に全学的な合意の上で人的リソースを投入し、教育プログラムに大鉈を揮った大学以外はまずこのコンペに勝ち目はない。
本学の場合は、過去数年間に真剣に取り組んだ「生き残り戦略」は「経費節減」だけである。
もちろん、「教員数をこんなに減らしました」というようなことを文部科学省に申し立てても、そんなことが「学生に大きな学習上の利益をもたらした取り組み」として、評価されるはずがない。
これまで「学生の学習上の利益」をはかった改革案は本学でも提出されなかったわけではない。
しかし、教職員たちの機構改革への対応はあまり好意的ではなかった。
アカデミック・アドヴァイザー制度は「教員の仕事が増える」という理由で学生主事会で否決されたし、きめこまかな履修指導のためのGPA制度もよく分からない理由で導入が延期されたし、教員評価システムもあちこちで不満続出で実施まであとどれくらいの「根回し」が要るのか見当がつかない。
かろうじて全学的な取り組みとしては授業評価アンケートの精密化があるくらいで、それ以外に見るべきものとしては学科単位、センター単位、教員個人の個別的努力しかない。そして、学科以下の個別的努力はコンペの「対象外」なのである。
二時間の説明をきいているうちに、だんだん不安になってきた。
本学の教員たちが個々人として創意工夫を凝らした授業をしていることを私は知っているし、その献身的努力を多とすることにやぶさかではない。しかし、全学的な取り組みとしては「大勢に遅れない」という以上のことをほとんど何もしてこなかった。
まずいよなあ、これは。
説明を聞いて分かったことの二つめは、今回のコンペは単純に「成果」を求めているのではなく、その大学が「新しい教育的アイディアをすぐに実践に移し、必要な調整を行いうるような、フレキシブルでフットワークのよい決定・執行・評価のシステムを持っているかどうか」を査定しようとしている、ということである。
なにしろ、この「教育トップ100校」の申請書類に私たちが書くことを許されているのはわずか6400字なのである。
これが意味するのは、査定されるのは6400字に「どんな事例を書く」かではなく、「どんな事例を書くか」を決定できるようなトップダウンシステムをもっているかどうかを、まず最初のスクリーニングの条件とする、ということである。
考えて見れば分かる。
学部が複数ある大学の場合、その中からたった一つの学部のたった一つの教育実践例を選び出すことについての学内合意を今日から二週間で取り付けなければならない。
医学部理学部法学部経済学部などが「うちこそが看板学部」と鎬を削っているような大学の場合、どれか一つを「大学代表学部」として選び出すことへの学内同意の形成は絶望的に困難である。だから、結果的には、どこのメンツも潰さないために、「全学的な取り組み」でまとめるしかない。だが、理科系文化系全学部に共通する教育実践であり、かつ他大学に例を見ないほどユニークなものというのはまずありえないから、これらの「それぞれの学部のメンツを立てて」作文をした大学はまず選定から洩れるであろう。
本学のアドバンテージは私たちWGに事実上の事例決定権が委ねられているということである。だから、どなたのメンツにもかかわりなく、「ベスト事例を一つだけ選ぶ」ことができるということにある。このわずかなアドバンテージを最大限に活用して、とにかく今から決断をしなければならない。どんな事例を「本学代表」に選ぶのか、それをこれから議論するのだが、それを選び損なったら「おしまい」である。
気の重い仕事だ。

疲れ切って帰宅。そのままでれでれとビールを飲み、アマゾンから本日入荷したアキラ映画を見る。
まずは『ギターを抱いた渡り鳥』(1959年)から。
おおおおおもしろい。
正直に告白するが、リアルタイムで私は日活映画をまるでバカにしていたのである。
だって大映ファンだったから(宮川一夫のカメラワークに感動していた中学生というのもどうかと思うが)。
三番館で併映のアキラも裕次郎もちゃんと見ていたのであるが、感動した記憶がない(アキラが馬に乗って出てくる状況設定に「ありえねーだろ」と突っ込みを入れていたのである)。
すまない。
改めて見ると実によい映画である。
ま、映画はたいしたことないけど、小林旭が素晴らしい(宍戸錠もね)。
あれほど「浮いた」台詞をめりはりの効いたアーティキュレーションできちんと発音できる、というのが凄い(石原裕次郎はすでに若干の「照れ」があり、そこが魅力でもあったのだが)。
「無意識過剰」というのがアキラに与えられた称号であるが、アキラはあのまるで嘘臭い映画のリアリティをただ一人で担保している。あそこでアキラが自意識を出して照れてみせたら、映画は全部「おしまい」である。
アキラこそあの「嘘臭い映画内世界」でほんとうに生きているただ一人の人間なのである。だって、アキラの演技の「嘘臭さ」と映画内世界の「嘘臭さ」は完全にシンクロしており、アキラの「嘘臭さ」は演技じゃなくて、アキラの「地」なんだから。
『さすらい』を読んで分かったけれど、アキラは生まれたときからもうフィクションとしての「アキラ」とぴったりシンクロしている。
あれだけの身体能力と容貌と音感を備えて生まれてきたために、ついに「理想我」と「自我」の隔絶に悩むことが一度もなかった俳優を日本映画界は小林旭しか知らない。
小林旭にはずれなし。

(ところで「渡り鳥シリーズ」の脚本を書いていた原健三郎というのは、その後淡路島出身の代議士となった『さすらい』には書いてあったが、ほんとうなのだろうか。たしかハラケンは代議士勤続50年表彰を受けたはである。ということは1959年の『ギターを抱いた渡り鳥』のときはすでに衆議院議員だったことになる。代議士やりながらアキラのホン書くかなあ。ほんとかなあ。誰か教えて下さい)