7月7日

2003-07-07 lundi

なかなか梅雨が上がらない。うー、じめじめする。
次々と仕事が舞い込む。
「ウィークリー讀賣」の取材と『現代詩手帖』の「高橋源一郎特集」への寄稿。「批評家高橋源一郎」についてのコメントをすることになる。新規受注はしない方針ではあるが、高橋源一郎特集ではお断りできない。
こういうふうに「断りきれない仕事」はどんどんふえるばかりで、書いているのは『レヴィナスとラカン』だけ。今週から「教育トップ100校」の起案もしなければならないし、なんだか大変なことになりそうである。

日曜の対談のときには、「ウチダの選んだベスト20冊」という企画もあって、私がお薦めする本20冊のためにリブロがコーナーを作ってくれたのである。そこの本もけっこう売れたそうである。一番売れたのは小田嶋隆の『パソコンは猿仕事』。小田嶋先生の売り上げに貢献できるとはうれしいことである。
ちなみに私が選んだ20冊は以下のとおり(条件は、「現在入手可能の本」)

橋本治 『わからないという方法』(集英社新書)
白川静・梅原猛 『呪の思想』(平凡社)
村上春樹・柴田元幸 『翻訳夜話』(文春新書)
小田嶋隆 『パソコンは猿仕事』(小学館文庫)
小倉鉄樹 『俺の師匠』(島津書店)
高橋源一郎 『文学なんかこわくない』(朝日新聞社)
村上龍 『69』(講談社文庫)
森銑三 『明治人物夜話』(岩波文庫)
成島柳北 『柳橋新誌』(岩波文庫)
竹内敏晴 『思想する身体』(晶文社)
網野善彦 『異形の王権』(平凡社ライブラリー)
グレゴリー・ベイトソン 『精神と自然』(新思索社)
吉田満 『戦艦大和ノ最期』(講談社文芸文庫)
アルフレッド・ヒッチコック&フランソワ・トリュフォー『ヒッチコック映画術』(晶文社)
池上六朗 『カラダ・ランドフォール』(柏樹社)
三浦雅士 『青春の終焉』(講談社)
佐藤学 『身体のダイアローグ』(太郎次郎社)
ハロルド・シェクター 『体内の蛇-フォークロアと大衆芸術』(リブロポート)
スラヴォイ・ジジェク 『ヒッチコックによるラカン』(トレヴィル)
カール・ポパー 『開かれた社会とその敵』(未来社)

二月程前に頼まれて、うちの本棚を眺めながらさらさらとリストを作ってメールで送ったので、どんな本を選んだのか忘れていたが、改めて見直してみると、小倉鉄樹、森銑三、成島柳北というラインがぐっと渋い。
私はこれまで「森銑三が大好き」という人に会ったことがないけれど、森鴎外、永井荷風の「評伝」の系譜を継承する私の大好きな文士である。もう現代にはこういう文章を書ける人は一人もいなくなった。関川夏央がそのエートスと文体の一部を引き継いだかもしれないけれど。
成島柳北は手に入る文庫本が「柳橋新誌」しかなかったのが残念。そういえば成島柳北の存在を教えてくれたのも森銑三だった。
小倉鉄樹が「俺の師匠」と呼ぶのは山岡鉄舟のこと。多田宏先生は小倉の創設した一九会の会員で鉄舟の曾孫弟子に当たる。だから私は鉄舟の「四代の後裔」ということになるのである。

授業を二つやって、杖道と居合の稽古。暑さのせいかお稽古に来たのは一人だけ。
二時間稽古するとそれでも汗びっしょりになる。
へろへろになって帰宅。ワインを飲みながら今日は『狂った果実』(1956年)を見る。
石原裕次郎の主役デビュー作(その前に『太陽の季節』に脇役でちょっとだけ出ているけど)なのであるが、すでに表情も台詞回しも「裕次郎的演技」が完全に出来上がっているのに驚いた。というか生涯まったく演技に変化がなかったというべきか。
昔TVで見たときは湘南の太陽族の風俗が「げー、だせー」という印象で寒気がした記憶しかなかったが、五十代になってDVDで完全版を見直すと、鎌倉や逗子のまだ汚れていない海岸のたたずまいに胸が詰まって「きゅん」としてしまう。岡田真澄の演じるノンモラルのハーフ、フランクの拗ねたような乾いた芸風も「いい味」である(このころの岡田真澄はほんとにいい。『幕末太陽伝』も)。津川雅彦の「幼い狂気」も凄みがある。
でもやはりこの映画は「ほっそりした」石原裕次郎のパンツスタイルの美しさにとどめを刺す。首筋から足元までのラインの美しさ。これほど美しい肢体をもった青年が戦後わずか10年で出現してきたことに当時の人々はどれほど衝撃を受けただろう。