木下恵介の『喜びも悲しみも幾歳月』を見たついでに井上梅次の『嵐を呼ぶ男』を見る。
どちらも1957年の作品。
リアルタイムでウチダは7歳。
『喜びも悲しみも幾歳月』は昭和7年(1932年)から始まって32年(1957年)で終わる。
途中で「昭和12年」とか「昭和15年」とか日付がインポーズされる。
子どものころは「昭和15年」というのは大昔だと思っていた。でも、よく考えたら私が生まれる10年前のことである。
今年生まれた子どもにとっての1993年である。
それって、「つい、先日」じゃない。
「空襲があって、買い出しの列車が混んで、もう大変だったんだから」という親たちの世代の昔語りを私はまるで神話でも聞くような気分で聞いていた。ならば、1980年生まれの若者たちに「ウッドストック」とか「ビートルズ来日」とか「安田講堂」とか「三島由紀夫自決」とか「はっぴいえんど解散」などという話を私がするとき先方が「まるでリアリティがない」感じの顔でいるのも、まあ当然である。
その逆に、私が子どものころに「昔のこと」だと思っていた時代の出来事が、いま初老になって思い返すと「つい最近」のことなのだということが実感される。
『嵐を呼ぶ男』の銀座の若者たちの風俗を少年時代の私は「大昔の風俗」だと思って見ていた。でも、よく考えたら、その8年後に私は銀座四丁目で皿洗いのバイトをしてたのであるから、石原裕次郎演じる国分正一くんみたいなすかしたあんちゃんと毎日すれ違っていたのであった。
不思議なもので、20代には日活映画は「古い」と思っていたが、50代になると「新しい」。
『嵐を呼ぶ男』は実によく出来た映画であった。
当時日活のプログラムピクチャーは石原裕次郎、小林旭、和田浩治、赤木圭一郎、宍戸錠、二谷英明らの主演映画を週替わりで出していたはずであるが、そのタイトなスケジュールの中であれだけ完成度の高い映画を作ったというのが凄い。(なにしろ最後はオーケストラで「シンフォニック・ジャズ」を演奏するんだから)
石原裕次郎のドラムはたぶん白木秀雄(最初と最後にちょっと出てくる。アイドル的なドラマーだったけれど、最後は不遇の死を遂げた。合掌)が演奏していると思うのだけれど、実にグルーヴ感のあるよいドラミングである。
有名な「おいらはドラマー」も歌謡曲だとばかり思っていたが、フルコーラス聴くと、かっこいいフォーバースなんか入っていてきっちりジャズになっているのである。
『監獄ロック』(これも最近見直して深く感動)と出来上がりの質は変わらない。(ストーリーも似てる。辣腕の女性マネージャーと成り上がりアイドル・ミュージシャンの恋の顛末)
笈田敏夫の敵役ドラマー「チャーリー」も、岡田真澄のぼんぼんミュージシャンも、実にサマになっていた。
このあいだ石川茂樹君に送って貰った「GO!GO!ナイアガラ」の「クレージーキャッツ」特集の植木等が述懐していた昭和30年前後の抱腹絶倒のジャズバンド時代の逸話を思い出した。
そのころのジャズ・ミュージシャンたちの方が当今のポップス・ミュージシャンよりはるかに愉快で痛快な生活をしていたような気がする。
大瀧詠一師匠の「小林旭再評価」の成果で、50-60年代の日活映画がこれからふたたびブレークしそうな気運がある。
私はさっそく「アキラ」のvol1とvol4をアマゾンで購入してしまった。
アキラの映画もどんどんDVD化されないだろうか。
アキラはいいもんなー。
というわけで、今日は仕事のBGMに『魔笛』と『アキラのダンチョネ節』を交互に聴くという変則的音楽生活であった。
♪あーいは、せなんだかあ。こーじまーのかもおめと♪パパパラッパパパパが繰り返し頭に響く。
モーツァルトも天才だが、遠藤実も天才。
(2003-07-05 00:00)