6月9日

2003-06-09 lundi

夜更かし朝寝坊の癖がついてしまった。
もともと朝からゴキゲンで仕事をがんがんするけれど、日が傾くと、まるで仕事をする気がなくなってしまうタイプなので、こういうライフスタイルだと生産性があまりよろしくない。
朝御飯を食べる習慣をなくしたのも関与しているのかも知れない。
「ああ、お腹が減った、さあ、何を食べようかな・・」とはね起きる動機づけが失われたわけであるから、いきおい「起きる意欲」というものに若干の翳りがさすことは避けがたいのである。
コーヒーを呑みながらぼうっとした頭でとにかく仕事にかかる。

とりあえず洋泉社の原稿が書き上がる。
これにて「四冊目」。
この原稿は夜ワイン片手に書いた原稿を大量に含んでいるので、何を書いたのか私自身もよく覚えていない。ぱらぱらとスクロールしてみたが、書いた覚えのないような文章がたくさんあって、「ほうほう」と興味深く読む。
うーむ、なるほど。そういう考え方もありか・・・おや、これはまたずいぶんと大胆なことを・・・と自分の文章を読んで、ひとりでリアクションを入れる。
まだ題名を決めていない。『規矩と型な』は内容とだいぶずれてしまったので、不採用。(これと『墓石に、と彼女は言う』は駄洒落タイトルの中では出来がよいものであったので残念である)

すると文春の嶋津さんからお電話。
『私の身体は頭がいい』を文春文庫に入れたいのですが・・というオッファーである。
新曜社さえOKなら私に異存のあるはずもない。
ついでに『ユダヤ文化論』の原稿はいつごろいただけますかとにこやかなお声でお問い合わせ。
いつごろと言われても・・・

このあと洋泉社の『説教本』と角川の『ため倫増補改訂版』とジジェクの訳書と、あと三つ本が出るのである。
来週からはレヴィナスの『困難な自由』の翻訳と海鳥社の『レヴィナスとラカン』にとりかかり、岩波のセックスワーク論と白水社のレヴィナス論を書いて、甲野先生との対談本を仕上げる。
これらの仕事が順調に進んだ日には、うっかりすると年内にさらにもう一二冊は出てしまうかも知れない。

いくらなんでも出しすぎである。
天才大瀧詠一にして3年間にアルバム11枚なのに私は2年間に11冊である。
「まだ前に頂いた本を読み終えないうちに、次の本が届いてしまいました」という悲痛な声が献本のあてさきからすでに次々と寄せられているところに、また明日あたりその次の本が届いてしまうのである。
受け取った人々の笑いがこわばり、しだいに倦厭感といらだちが募り、やがてそれがウチダに対する憎しみに変わってゆくことは人情としてとどめがたいであろう。
しかし、だからといって、献本を差し上げることをこちらがご遠慮すればしたで、「なぜウチダくんはぼくのところに新刊を送ってこないのかね? 何かね、読みたきゃ自分で買え、と、こういうわけかね。ほほほ、ずいぶんウチダくんも偉くなったじゃないか。いや、ご立派なことで」というような事態を招来する危険もまったくないとは言えないのである。
まことに八方ふさがりである。

書かなければ編集者が怒り、書けば読者が怒る。
書かなければ暇でしょうがないし、書けば忙しくてしようがない。

まことに世の中というのはうまくゆかないものである。