5月30日

2003-05-30 vendredi

トップ100校WGの第三回ミーティング。
話の早い方ばかりなので、たいへんに重大なる問題を論じた会議だったのであるが、1時間でぱぱぱと終わる。
会議はこうでなくっちゃね。
つねづね申し上げているように、私は「会議を早く終わらせる能力」を高く評価する人間である。
「会議を早く終わらせる能力」は、次のようなファクターから構成されている。

(1)何が重要な論点で、何が二次的か、その優先順位が分かっている
(2)自分の意見を簡潔に表現できる
(3)他人が「何が言いたいのか」をすばやく察知できる
(4)異論との調整のために自説をためらわず放棄できる

意外に思われるかも知れないが、一番得難いファクターは(1)なのである。
(2)からあとは、その派生現象にすぎない。
重要な論点が何かを分かっている人は、そこだけ「押さえて」おけば、あとはどうでもよろしいので、全体に発言が少なく、二次的問題についてはしばしば意見さえ述べない。
大事なことだけ確認しておいて、「あとはじゃあ、世話役さんに一任つうことで」と言いながら腰を浮かせる・・・というのが会議をあっというまに終わらせるこつである。

会議を長引かせるのはその逆のタイプの人間である。
このタイプの人は「意見をとりまとめる」ことよりも、議論のプロセスで「自分が知的であること」をショウオフすることの方をつねに優先させる。
「自分が知的であることをショウオフする」時間はいくら続いても長く感じないのは人性の自然であるから、いきおい彼らが発言をはじめると会議はどんどん長くなる。
大学というのは「知的であること」に、少なくとも「知的に見えること」に過剰な価値を見出す人々がダマになって暮らしているところであるからして、どのような会議もややもすると長引く傾向がある。

かかる趨勢を憂える人々がいる。
これを「定刻主義者」と称する。
定刻主義者とは、会議を定刻に始め、定刻に終わらせることに「無上の喜び」を見出す人間の謂である。
わが総合文化学科の学科長F庄先生は自他共に認める「定刻主義者」であるので、科別教授会はたいへんにすばやく進行する。
その私がさらなる会議時間短縮案としてご提案したいのは「発言時間タイマー」である。
会議の予定時間を出席者数で除すると「この会議において許される一人当たり発言時間」が得られる。
それをタイマーにセットする。
一人当たりの発言時間合計がその割り当てを超えたらタイマーが「ブー」と鳴る。
鳴ったらもう発言は許されない。さらに発言を続けたければ、自分と同意見の誰かにバトンタッチするか、誰かから「残り時間のあるタイマー」を譲り受けなければならない。
重大な案件のときなど、ブラックマーケットで「時間」が売り買いされ、「残り時間タイマー」の闇価格が高騰したり、なかなかスリリングな展開が期待できるのである。