5月29日

2003-05-29 jeudi

午前中ぱたぱたと洋泉社の原稿を書く。
6月末が締め切りなのであるが、6月中にどれほどの量の書き物をしなければならないのか想像しただけで頭がくらくらしてくるので、できるうちにやってしまう。
洋泉社の本は『ため倫』や『おじ的』と同じく、ホームページ日記のアンソロジーであるので、本来は何もしないうちに本ができるはずであるが、もちろんそのようなことはありえない。
終わりなき加筆修正をしているうちにずるずると本が長くなって行く。

『ため倫』文庫版のキックも入る。
これは高橋源一郎さんが「解説」をお書き下さることになっているので、そろそろ「まえがき」と追加分を書かないといけない。
これが8月に出る予定であるので、それですでに今年は5冊刊行ということになる。

8ヶ月で5冊というのはどう考えても異常である。
しかるに、さらに7社の編集者が「今年中に原稿を渡して頂きたい。できれば今年中に刊行したい」というご無体なる要請を私に向けておられるのである。
それはいかがなものか、と私は思う。
この場を借りてぜひ編集者の皆さんに申し上げたいが、このように年間10冊近いペースでウチダが本を出したら、読者諸氏は必ずやウチダに「飽きる」と私は思う。
ウチダの書き物にもっとも好意的な読者であるウチダ自身でさえぼちぼち自分のものを読むのに飽きているくらいであるから、読む方のあいだにはすでに「膨満感」がたちこめ始めているに違いない。
営業的に考えても、年間2冊せいぜい3冊というのがリーズナブルなペースである。
それ以上の頻度で本を出すことは決してみなさまにとってもお得なことではないと私は思う。今年はもう2冊本が出ている。このあととりあえず4冊出る。それだけで6冊。「キック」を真に受けて夜を日に継いで原稿を書き飛ばしたらあとさらに何冊出るか分からない。
でも、考えても頂きたい。
そんなに私の本が売れるだろうか。
一年間に6冊も本を出す人間のものを誰が律儀に6冊全部買うであろうか。
私なら買わない。
「はよ書け」とせっついている編集者の皆さんは、自社刊行のご本のことしか念頭にないようであるが、そんなことでよろしいのであろうか。
御社刊の本とほとんど内容に変わらない本が、じゃかすか他社からも出るのである。
みなさまはそれと知らずに「墓穴を掘っている」と私は思う。
ウチダの脳裏にはありありと想像がうかぶ。
みなさまが返本在庫の山をかかえて途方に暮れている姿が。営業会議での上司の怒声が。

「だから、オレはダメだって言ったんだよ。それをキミが『今が旬ですから』とかなんとか言って反対を押し切って、無理押ししたんじゃないか。何が旬だよ。サバの生き腐れみたいなしょーもない本を他社と同時に出しちゃって・・・。んなもんが売れるわけないじゃないか。オレは知らないからね。全部、キミの責任だからね。辞表書き給え、辞表!」

せっかく私に仕事の口をお世話くださった大恩ある編集者の方々の前にこのような悲惨な運命が待ち受けていることを熟知していながら、それをあえて看過することは不肖ウチダにはできない。
ウチダはそこまで非人情な人間ではない。
編集者のみなさんには、ぜひ大過なきサラリーマン人生を全うしていただき、満額の退職金を手に入れていただいて、悠々たる余生をお過ごし願いたい。それがウチダにできるささやかな恩返しである。
というわけなので、ウチダは本日を期して拙速を自制し、

皆様方がそれぞれに心秘かに設定しておられる締め切りなるものをすべて忘却の彼方に捨て置くことにした。

いや、お気持ちは分かる。
お気持ちは分かるけれどこれは、決して私利私欲から申し上げているのではない。「あなたご自身のため」なのである。
編集者諸氏のご海容を乞う次第である。
むろん男ウチダは約束は守る。
書くとお約束した原稿は必ず「いつか」お渡しする。
それが「いつ」になるかは God only knows というだけの話で。