5月27日

2003-05-27 mardi

正謡会の申し合わせ。
早起きして湊川神社神能殿へ。
午後から授業があるので、朝一にお願いしている。
9時半に着くと、まだ下川先生お一人しか来ていない。
早速袴を付け、長刀を組み立てて、無人の能舞台で、一人で謡と唱歌をやりながら続けて三回リハーサル。
たちまち汗びっしょりとなる。
私一人でも、能舞台は能舞台である。
暗がりの客席に向かって朗々と謡い、ばんばーんと拍子を踏むと、能楽堂全体に響きが伝わり、たいへんに気分がよろしい。
時間となって、地謡、囃子方の先生方が舞台に揃う。ご挨拶して、即本番。
いつもひいひい焦っているうちに申し合わせは終わってしまうのであるが、舞囃子も三回目であるから、囃子に耳を傾ける余裕もちょっとは出てきた。
「ホオ、トン、ヤア、トン」という太鼓に合わせて「どっかーん」と拍子を踏む。
私の足拍子に合わせて地謡が「声をしるべに出船の・・・」とバリトンの四重唱が続く。
ううううう。気分がいいぜ。
拍子をどっかーんと踏んで、それに呼応して地謡囃子がごーっと煽ってくるときのシテ方の「気分のよさ」というのは、なかなかうまく表現できない。
「そのとき義経少しも騒がず」というところで、ちょっと足運びが早すぎて、「うつつの人に」で義経の前まで着いてしまい、「向こうがごとく言葉をかわし」のくだりを怖い顔をしたままワキ座の前で硬直するという無様を演じてしまった(太刀に間に合わないで「ひえー」と焦るよりは、早めに現場に着いて怖い顔をして義経を睨んでいる方がまだましと言えなくもないが)。
失敗はそこだけで、あとはけっこうたっぷり舞って、「揺られ流れて」で、ちゃんと「ドンドン」と拍子を踏んで、「後白波とぞなりにける」できっちり終わる。
いつもは怖い下川先生からも、「あそこ、早すぎたよ」とおっしゃっただけで「あとはよろしい」と言って頂いた。
ほっ。
あとは本番を待つばかりである。
願わくは、拍子を間違えませんように。囃子方の先生の頭を長刀でどづきませんように。
(拍子を間違えても観客の大半には分からないだろうが、長刀で囃子方をどづいたら、向こう一年は関西能楽界の「笑いネタ」である)

大学院の発表は浜松の鈴木先生の「学校教育の現場から」。
教育の現場が文部科学省の「猫の眼」的な学習指導要領の改訂にどれほど振り回されているか、それが実感された。
つねづね申し上げているように、私は文部科学省に対してそれほどには批判的ではない。基本的には彼らは善意であり、日本の教育を何とかしたいと必死でいる。文部科学省の通達を読めば、それは分かる。
問題は、文部科学省が社会の変化に即応して、教育制度を「改善」し、もって日本社会を「改善」する、ということの順番でものを考えていることである。
これはことの順逆が狂っている。
教育の現場にいるとわかるけれども、教育制度をいじってもそれによって子どもをコントロールすることはできない。
教育制度が子どもの変化の「後追い」をしている限り、どれだけ俊敏に変化の「後を追って」も、教育制度は教化的には機能しない。
先日の気錬会との合同稽古でも再三申し上げたことであるが、状況をコントロールするためには「後を追う」のではなく、「後を追わせる」のでなければならない。(これも甲野善紀先生から学んだ貴重なる知見である)
体術と同じく、教育制度が子どもの「先手」を取るときに、はじめて子どもは教育制度の「後を追ってくる」。
明治時代からしばらくのあいだ日本の教育制度が効果的に機能していたのは、教育制度が「何を目指しているのか」を就学者たちもその親たちも、「よく分からなかった」からである。
「学校の先生がそうおっしゃるんだから、(よくわかんないけど)まあ、信じることにしよう」というようなあいまいな同意が明治以来の教育制度の教化的機能を担保してきたのである。
人間の身体で試すと分かるけれど、「相手が何をしようとしているのか、よく分からない」ときに、人間の身体は非常に柔らかく、敏感で、素直になる。(甲野先生はこれをいみじくも「センサーモード」と名づけた)
そして、その人間の心身がもっとも「開放的」になったこの状態こそが武道的には「咎めどころ」(つまり術者がいかようにも被術者を操作できる状態)なのである。
教育を受ける立場の人間のいるべきポジションとはまさに「ここ」である。
全身を耳にして、全身の皮膚感覚をもっとも敏感な状態にして、「これから何が起こるのか」をどきどき待望する状態。
その「開放」状態に子どもを置くこと、それこそ教育がもっとも効果的に機能するための条件である。
そして、そのような状態にある子どもは教師のみならず、あらゆる「未知」のものに敏感に反応し、それに対して開かれている。
子どもをこの「開放状態」に維持するためにも、教育者はつねに「先手」を取らなければならない。
「先生」の条件とは、一言で言えば「次に何を言うか、何をするか、弟子には予測がつかない人」のことである。
文部科学省の致命的な過ちは、「教師は可及的すみやかに子どもの変化にキャッチアップするべきである」だという誤った前提を採用したことにある。
話は逆である。
教育が機能するためには、(それは要するに「子どもの心身の感受性を最大化する」ということに尽きるのだが)、「子どもたちが全知全能をあげて、教師の変化にキャッチアップする」ようにするにはどうしたらよいのか、というところから話を始めなければならない。
私は今日の鈴木先生の話を聞いているうちに、「この人は教師としては相当に優秀な人であろう」と直感した。
それは鈴木さんが発表でも質疑応答でも、私たちに対して、「次に何を言うか、予測がつかない」という位置取りを一貫してキープしていたからである。
たぶんご本人はそれほどには自覚されていないと思うが、教育の現場で鈴木先生が体験的に習得されたこれこそが「教師」の機能的な立ち位置なのである。
かつては制度がそのような立ち位置を保証してくれていた。
今、そのような保証は存在しない。
だから、そのような微妙な位置取りができる感受性を備えているかどうか、そこにひとりひとりの教師のアチーブメントの成否はかかっているのである。
教師というのは実体ではなく機能である、というのが『「おじさん」的思考』の漱石論以来の私の基本的主張であるが、「どういう機能か」ということは、まだまだこれから詰めてゆかなければならない。