5月22日

2003-05-22 jeudi

半オフの木曜日。
「半オフ」というのは授業が体育の「合気道」だけであり、それはそのままクラブの合気道の稽古に雪崩れ込んで行くからである。
合気道のお稽古を「仕事」と言ってはわが身にゼウスの雷撃が下るであろう。

体育の合気道の学生諸君はげらげら笑いながら「入身投げ」を稽古している。
なぜ「げらげら笑う」かというと、どうしてこういうふうに動くと相手がこういうふうに崩れるのか、その術理が分からないのに、相手が崩れてしまうからである。
人間は「どうしてこうなるのか、分からないこと」ができてしまうと、思わず笑ってしまうものである。
今から数年前にヤベッチとクーがまだ一年生で、西宮中央体育館で稽古をしていたころ、二人が稽古の間ずっとげらげら笑っていたことがあった。
「ええええ、どうしてええええ」と二人で笑い続けていた。
人間は自分の身体が蔵している未知の可能性に触れたとき、思わず笑ってしまうのである。
「稽古は愉快を以て旨とすべし」という合気道本部道場の道場訓が教えてくれるのは、身体的な発見の場ではみんな笑ってしまう、だからみんなが笑っている場所とは、きわめて効率的な身体訓練がなされている場だということである。
合気道の授業で以前私は「技」を教えようとしていた。
去年からそれはもう止めた。
「技」なんか教える必要はないのである。
教えるべきことがあるとすれば、それは「自分の身体にはとんでもないポテンシャルがひそんでいる」ということだけである。
それが知れれば、あとは別に合気道を専念修行する必要はない。
自分が「一番やりたいこと」にそのポテンシャルを集中すればよろしい。
合気道に教育的意義があるとすれば、学生諸君が合気道の稽古のあとに、「自分が一番やりたいこと」の「新しいやり方」を思いついて、後も振り返らずに走り去ることである。
合気道というのは、まさにそのための方法なんだからね。
かくいう私がなぜ30年近く合気道の稽古をやり続けているかというと、それは「合気道をやってみたら、自分がいちばんやりたいことが合気道であることに気づいた」からである。
それは言い換えれば、「自分のポテンシャルを最大化する方法」を学んだら、自分が一番したいことは「自分のポテンシャルを最大化すること」だということに気づいた、ということである。
合気道とは比喩的に言えば「微分」的なものである。
私は「微分」し続けたい。
合気道を研究に活かす、ビジネスに活かす、家庭生活に活かす・・・いろいろ「積分」の方法はあるだろうけれど、一番どきどきするのは、「合気道で得た知見を合気道に活かす」ことである。
私は「どきどきしたい」のである。
"どきどきさせて"(Please let me wonder) 欲しいのである。
自余のことはどうでもよろしい。

京都大学大学院卒のT君というODの青年が訪ねてくる。
若手のレヴィナシアンである。
彼の学術振興会の「受け入れ指導教員」というものに私がご指名されたので、研究計画などについて懇談する。
私ごときもののところに「レヴィナス研究のご指導を仰ぎたい」と言って若手研究者がやってくるご時世となったとは、うたた感慨に耐えないものがある。
今や、レヴィナス老師の名は、哲学の研究者にとって、その研究の先進性と学術性を担保する機能を果たしている。
けれども、果たして現今の哲学研究者が老師の叡智の底知れぬ深さをどれほど切実に「直感」されているのか、ウチダにはよく分からない。
読んで「分かる」箇所だけ引用して、読んでも「分からない」ところは「どうせ、たいした意味がないんだろう」と思って読まずに捨て置き、それで平気で「レヴィナス研究書」を書いている剛毅な哲学研究者も近年は散見される。
レヴィナスのテクストは、自分の手持ちの知的フレームワークを廃棄することなしにはほとんど一行とて理解できないように書かれている。
これは一種の「謎」として提示される。
私はこの「謎」をおのれの手持ちのフレームワークに収めて「理解する」という研究の道を断念して、この「謎」を「終わらない宿題」として引き受けるという「遂行的な読み」を選んだ。
私はいわばレヴィナス教に「入信」したわけである。
だが、この「入信」は私の主体的決断によるものではない。(そもそも「レヴィナス教の根本の教え」は人間は主体的決断によって主体性を基礎づけることはできない、というものである)
私は「気が付いたらすでに入信していた」のである。
それを主体的決断と呼ぶことが私にはためらわれる。
そんなアクロバシーができたのは、その前に私が多田先生に出会っていたからである。

私が多田先生から伺った、とても深遠でとても愉快なエピソードがある。
多田先生が早稲田の学生の頃、三週間の断食に高尾山に籠もったことがある。
その動機のは、ある人から断食をして「千里眼」になった行者がいるという話を聞いたことであった。
山から降りてきた先生からその話を聞いた多田先生のご父君は「宏は何でも信じちゃうからな」と苦笑されたという。
そんな昔話を多田先生自身からうかがったことがある。
多田先生の天才は、この「何でも信じる」ことのできる才能に潜んでいると私は思っている。
間違えないでほしいが、多田先生は「自分の理解を超えたことを信じる」ことのできる人である。
それは「自分の理解を超えたすべてのことを信じる人」というのとはまったく違う。
先生は、おのれの理解を超えるものについて、直感的に「信じられるもの」と「信じられないもの」を厳然と区別されているのである。
この判断力を持つためには間違いなく天才が必要だ。
現に多田先生は大学に入学された18の春に、あまたの武芸者たちの中から、過たず空手の船越義珍、合気道の植芝盛平、天風会の中村天風という、いまから回顧するとその当時考え得る最高の師に「同時に」師事している。
これを偶然と言うのはむずかしい。
今の大学一年生で、「よし、この四月から武道を始めよう」と決意して、いきなりこの三人のようなスーパー武道家を同時に発見し、同時に師事できるほどの卓越した「師匠眼」のあるものはおそらくいないだろう。
多田先生の「何でも信じる」知的開放性はこの天才的直感に裏打ちされてはじめて意味を持つのである。
それだけではない。
賢者たちは言葉は違っても「同じこと」を教えているはずだということも18歳の多田先生は直感せられていたのである。
だから、「最初の賢者」さえ選び間違えなければ、あとは「その賢者と同じことを言っている人」を直感的に発見してゆけば、次々と希代の賢者たちとご縁ができるはずなのである。
このような理解を絶したもののうちから、「信じられるもの」と「信じられないもの」を識別する「直感」の大切さを私は多田先生から学んだ。
だからレヴィナス老師のテクストをはじめて読んだときに、私は「この人は、多田先生と同じことを言っている)」と直感して、ためらわず老師の弟子となる道を選んだのである。(というのは今から考えると「そうかもしれない」という小賢しい後知恵であるけれど)

私が経験したのと同じ「入信」を若いレヴィナシアンに求めてよいものかどうか、私にはそれがよく分からない。
Tさんがレヴィナス老師の叡智に深いところで触れるためには、どこかで「命がけの跳躍」が必要だ。
しかし、私はそのやり方を「教える」ことがきない。それは「自得」されるしかないものだからだ。
そのためには、書物的に賢者と出会うより先に、「生身の賢者」に出会っておく必要があるように私には思われるのである。
生身の賢者を知らない人が、ヴァーチャルな賢者に知的有り金を賭けるのは困難だからである。
レヴィナスを「読める」かどうかは、学知の水準ではなく、むしろ生きる経験そのものの水準にかかわっている。
T君の生き方についてあれこれ指図するのは、「学振特別研究員の受け入れ先指導教員」の職務を遠く超えることである。
私は「がんばってね、T君」と遠くから手を振ることしかできない。
すべての若きレヴィナシアンの上に神の恵みがありますように。