5月7日

2003-05-07 mercredi

4日の未明に卒業生の辻田有規恵さんが亡くなった。
交通事故の被害者だそうである。
夜中に同期のホーリー玲子から電話があって知らされた。
かつての学生の訃報に接するのはつらいものである。
辻田君はまことにユニークな学生で、授業を担当したことはなかったのであるが、ホーリーやフジイや半田君たちの仲間なので、ときどきわが家の宴会にもやってきた。
92年か3年だか夏は、るんちゃんのベビーシッターのバイトで合気道部の合宿についてきてもらったことがある。
稽古が終わって帰ってくると、遠くからるんちゃんと辻田君のふたりが無言のまま海岸にしゃがみこんでいる姿が見えた。おふたりの発する妖しくも夏の海岸らしからぬオーラがそこにわだかまっていたのが印象に残っている。
二年ほど前、聴覚障害者のための支援の仕事をしているという話を、偶然キャンパスで会ったときに交わしたことがある。
「じゃ、がんばってね」と手を振ったのが最後になった。
辻田くんの魂の天上での平安を祈る。

6日の「現代日本論」ではドクター佐藤が「鬱病」についてレポートをしてくれる。
現役のお医者さんをレポーターに迎えてゼミをやるわけであるから、まことに心強い限りである。
鬱病については色々な「文化論的意味づけ」ができそうだが、私はデュルケームの『自殺論』以来の古典的解釈に従って、これを「自立の対価」だと考えている。
「羊水の中に漂っている胎児のような全的依存状態」アルタード・ステイツにある人は鬱にはならないだろう。
私は二度深刻な鬱を経験したので、「鬱にならない自立の方法」を学習した。
教えて欲しい?
そう。
そこで「教えて下さい」と言えれば、あなたはもう大丈夫。
「けっ、ウチダなんかにものかを教わる気はないね」というような人は鬱からの脱出なかなか前途遼遠なのである。

ゼミのあと26人という大集団で「顔合わせ宴会」というものに突入する。
年齢性別職業ごった煮のバトルロワイヤル状態である。
私たちの集団を見て「これは何の団体でしょう?」クイズで正解できる他人はいないであろう。(「商店街の寄り合い」あるいは「新興宗教の支部会」に雰囲気が近いかもしれない)
二次会は江さん佐藤さん江田さん渡邊さん、それにウッキーとつれだって三宮の「ゴスペル」へ。(先々週の「フライング宴会」は同じコースだったようである)
キャロル・キング、フランク・ウェス、グレン・ミラーなどと勝手なリクエストをする。
さすがに6時間飲み続けで酩酊。よろけながらも、帰途なお江田さんに説教するのは忘れない。

7日は舞囃子の「特訓」があるので、二日酔いでぼおっとしながら雨の中を湊川神社まで走る。
下川先生にがしがし怒られながら汗だくで能舞台を走り回っているうちに酔いが抜ける。
すっきりして帰宅。シャワーを浴びたら猛然と眠くなってきたのでまた出たばかりのベッドに戻って昼寝。
爆睡すること1時間半。P書店のM島さんと約束があったので、のろのろ起き出す。
芦屋駅前でお茶をしながら本の打ち合わせ。
「大人になる方法」みたいな企画の本はもう書きたくないので、もっと違うこと書かせて下さいよお、文学のこととか、と勝手なことを言う。
打ち合わせが終わってから三軸自在研究所でごりごりしてもらって、鍼でぷすぷすしてもらう。
全身完全弛緩状態になって帰宅。
前夜来10時間半も寝ているので、さすがにベッドにはいっても寝付けないだろうなあ・・・と思っているうちにたちまち爆睡。