5月2日

2003-05-02 vendredi

三宅先生に「前歯がぐらぐらなんですけど」と泣訴したら、「患者がふえると困るので歯科の看板を出していない」名医E先生をご紹介したいただく。
世の中は広く、そういう「会員制地下クラブ」みたいな歯科がちゃんと存在するのである。
三宅先生の「名医」つながりで、そういう「ふつうのひと」は決して踏み込むことのできないアンダーワールドにご案内頂けるわけである。
別に巨額の診療代を請求されるわけではない。(ちゃんと保険もきいて、980円)
前歯はもうダメだそうである。
他の歯ももうこのままでは全滅らしい。
「えええ」と泣き崩れると、「ま、それを治して進ぜようというのだよ」とさすが名医らしいことを言ってくださる。
とりあえずウォターピックの使用を命じられる。
デンタルケア用品は20年ほど前から兄ちゃんのエリアであるから、さっそく帰りの車から携帯で横浜の兄ちゃんの会社に電話を入れる。
「はい、フィードでございます」と対応に出た女子社員によると兄ちゃんはアメリカ出張中らしい。困ったな、と思っていたら、当該女子社員が「先生?」と訊く。おや、ミノタ君か。
ミノタ君は私のゼミの卒業生である。
世間さまには腰が低いが元ゼミ生には態度のでかいウチダは「ああ、ミノタくん、ならば君んとこで扱ってるウォーターピックのいっちゃん高いやつ、芦屋の方に送っておくように」と居丈高に命令する。
「請求書は社員家族割引でね」(しまった。私はフィードの株主だったんだ。「株主割引」って言えばよかった)
「なにかね、キミは。最近も会社を辞めたいとかぐちぐち言ってるそうじゃないか。ん? 世間なめとんとちゃうか」とさっそく車を運転しながら、携帯電話で説教を始める。
朝っぱらから仕事場でとった電話でゼミの旧師から説教されてはミノタ君もまことに気の毒なことではある。

学校にゆくといろいろとお仕事の連絡が入っている。
「朝日カルチャーセンターの**ですが、お電話を頂きましたそうで、ご用件は何でしょか? 折り返しご連絡下さい」という留守電が入っている。
電話をした覚えはないので、どういう連絡を入れたものか悩む。
「あのー、ボク電話してませんけど」という電話を入れるのかなあ。

筑摩書房から内田百間先生(「間」は門構えに「月」なのであるが、ワープロじゃ出ないんだよね)の文庫版全集の「あとがき」の依頼がくる。
内田百鬼園先生は母方の祖父の同郷同窓の先輩であり、ウチダ自身も「大学教師の亀鑑」として青年期よりひそかに私淑する偉人である。
同姓の著名人というと、百鬼園先生と内田裕也と内田魯庵と内田良平(黒龍会と「ハチのムサシ」)と内田隆三がいる。
何となく、同姓というのは、親しみを感じるものである。
そう言えば、内田隆三さんは神戸女学院の同僚で、その後東大の先生になったのであるが、隆三先生がいなくなったあと、とある出版社から私に原稿依頼があったことがある。
しばらく話していたのだが、どうも話が噛み合わない。
「あのー、もしかして、ウチダリュウゾウさんとお間違えじゃないですか? ぼく、ウチダタツルの方なんですけど・・・」と申し上げたときの、先方の慌てたこと。
「ええええ、そ、そんな滅相もない。ウチダタツル先生ですよね、ははは、そうですよね。そうです、そうですよ。まさに、そのウチダ先生に原稿お願いしてみようかな、なんて思っていたんですよ・・・あ、ちょっと別の電話が入りましたので、またのちほどに・・・」と電話を切られてしまった。(もちろん二度と電話はこなかった)
そんなに慌てなくてもよかったのに。
内田百鬼園先生の全集の「あとがき」を書かせて頂けるとは光栄至極であるので、喜んでお受けする。

医学書院の白石さんから本の企画ができましたというメールが来る。
さすが生き馬の目を抜くスーパー・エディター、仕事がすばやい。こちらが四の五の言わないうちにもう完全に手足がロックされた状態である。
晶文社の安藤さんから次の仕事の企画が届く。
「21時間デスマッチ対談」本(『邪悪なものの鎮め方』)と「ラジオ深夜便」の続きの対談第三弾を甲野先生とやってくださいというご提案である。
甲野先生とお話しさせて頂く機会を頂けるのは嬉しい限りであるが、甲野先生もめちゃくちゃに忙しい方であるので、時間が取れるかどうか心配である。
一昨日は小学館の「SAPIO」の取材があった。『「おじさん」的思考』と『機関限定の思想』の著者インタビューである。
販促活動には全面協力する方針なので、2時間ほどいろいろとおしゃべりをする。
しかし、去年の大晦日を以て「物書き廃業」を宣言したはずなのであるが、なんだか断れないオッファーが続く。(合気道家で『合気道探究』からの寄稿依頼を断れる人はいないし、『学士会報』は私の唯一の定期購読誌だし、安藤さんは「ははははは」と笑いながら当然のことのように次の仕事を入れてくるし・・・)
いったい私が心静かにレヴィナスの『困難な自由』の翻訳にとりかかれる日はいつ訪れるのであろう。(中根さん、ごめんなさい)