ダイヤリーを開くと今日の欄は「まっしろ」である。
何の予定もない一日。
さっそく締め切りを三月のばしてもらった洋泉社の原稿整理を始める。
新規の書き下ろしは数十枚ほどで、あとはウェブ日記やあちこちのメディアに寄稿した「ありもの」のコンピレーションである。
日記の方は洋泉社の渡邊さんがもうセレクトし終わっているので、それに手を入れるだけである。
ハードディスクから過去二年間の単発原稿を掻き集めてきて、コピー&ペーストして、とりあえず60枚分の「ありもの」原稿をまとめる。
ついでに、「江口寿史現象」と題する世代論を20枚ほど書く。
これに最近のウェブ日記に書いたものからいくつかピックアップして、「あとがき」を書けば、「一丁上がり」である。
「一丁上がり」はよいのであるが、ここまでのところを通して読んでみると、『ため倫』や『おじ的』に比べて、何となく文体の感じが違う。
どこか「雑」な感じがする。
特にメディアに書いたものが「雑」なのである。
ウェブ日記にばりばりアップロードした文章の方が「テクストの目が」詰まっていて、原稿料をもらって書いている文章の方が「スカスカ」というのはどういうことであろう。
たぶん、日記に書くときは、どこに着地するかあてもなく書いているからだろう。
枚数制限もないし、時間制限もない。だから、どれほど変な方向に逸脱していっても、別に誰からも文句はでない。誰かに読んでもらうためというよりは、自分の考えをまとめるために書いている。優先的に配慮しているのは「私の書き物を批評的に読む私自身」というヴァーチャルな視座である。
しかし、寄稿したものというのは、とりあえず読者に気分よく読んでもらうということを前提にしているので、そういうコアな視座は営業上取ることができない。
一テクスト一主題で、最初に立てた論題について、結論めいたものを書かないといけない。
売文的原稿では「結論のようなもの」をとってつけたように付して「着地」するということになる。
しかし、つねづね申し上げているように、ほんとうに重要な問題については、軽々に「結論」を出すべきではないのである。
にもかかわらず「結論」めいたことをむりやり書いてしまうので、なんとなく「軽い」印象を残すのである。
というわけで昨日、自分の書いたものを通読した反省点として、今後は「結論のようなもの」はあまり書かないことにした。
落語のオチや短編小説と同じで、話は「不意に途切れる」というかたちで終わるのがよろしいようである。(ぶち)
夕方になったので、仕事を終えて、お風呂に入り、三杉先生からもらったワインを啜りながらパスタを茹でる。
三宅先生のご忠告に従って、五日前から一日一食(朝昼抜き)というダイエットをしている。
この朝昼抜きダイエットというのは、なかなかよくできたシステムであると思う。
ダイエットの最大の欠陥は、「会食」というのが私たちにとってたいへん重要な社会的活動の一部だということを軽視している点にある。
「ダイエットしているから・・・」という理由で、ディナーや宴会のときにサラダを囓って水を飲んでいるような人間と、鯨飲馬食している人間のあいだには、愉快なコミュニケーションは成立しにくい。
これは経験的にたしかである。
私は26、7歳のころ、けっこうストリクトな「玄米正食」というものを実践していた。
おかげでぐっとスリムな身体になったのはよいのだが、他人といっしょにレストランや居酒屋に入るということができなくなった。
人の食べているものが「食べ物」に見えないのである。
文字通り「ゴミ」を喰っているようにしか見えない。
付き合いで口にしても化学調味料の刺激で吐き気がしてくる。
そうなると、「どうして、こんなゴミみたいなもの食べるんだよ、やめなよ」といういわずもがなのことを口にしてしまう。
ご承知のとおり、人間というのは、自分が美味しいと思って食べているものを他人に批判されると非常に傷つく。
こうして、私は健康とスレンダーなボディの代償として、一人また一人と友人を失っていったのである。
一日、私は沈思黙考し、わが身一人の健康長命と友情とどちらが優先するかを比較考量した。
そして、ダイエットを止めたのである。
「夕食だけダイエット」の利点は、何よりもダイエットと社交活動が背馳しない、ということである。
「ねえ、どっかで朝飯(昼飯)食わない?」というオッファーに対しては「あ、オレ、飯はいいわ・・・ま、コーヒーだけつきあうかな」と言っても、別に相手は気にしない。
むしろ食べる気がないのに、レストランまでついて来て、話し相手になってくれるなんて、「いい奴」だな、と思ってくれたりする。
ところが、「どっかで夕飯食わない?」というオッファーに同じ対応をすると、これは角が立つ。
いっしょにレストランに入って、あちらがぱくぱく食べているときに、こちらが黙って「ペリエ」なんか呑んでいると、なんだか「見下されている」ような印象を相手が抱いてしまうものなのである。
なぜか夕食の場合は、「食欲がないのに、つきあってくれて、いい奴だな」とは絶対に思って貰えない。
だから、夕食はばりばり食べてもよい、という条件は社交的な意味でたいへんありがたい。
これが利点の第一。
利点の二つめはストレスがたまらないことである。
朝昼食べて夜食べないというダイエットだと、お昼を食べたあとは寝るまで空腹を抱える他ない。すると午後はずっと不機嫌ということになりかねない。
しかし、夕食だけダイエットだと、お昼過ぎにぐうぐうお腹が減ってきても(もちろん激しい空腹感が襲ってくる)、「じゃあ、今日はちょっと早めに晩御飯にしようかな・・・」と決めれば済む。
すると、もう頭の中は夕食のことでいっぱい。カツカレーとかチャーシュー麺とかをがつがつとむさぼり食う自分の姿を想像して、しみじみ幸福な気分になれるのである。
というわけで、このダイエット方式はかつてなくうまくゆきそうな気がする。
問題はもう五日目なのに、体重がまったく減らないことである。
という愚痴をこぼしたら三宅先生がもう少ししたら代謝システムが変化して、「ぐん」と痩せ始めますよ、とうれしい予言をしてくれる。
ついでに、「頭の良くなるサプリメント」と「疲労を感じないサプリメント」を頂く。(実にいろいろなものを下さる先生である。)
せめてのご恩返しに三軸自在研究所の宣伝をして差し上げたいのであるが、一日150人から患者が殺到して、三宅先生必死なので、これ以上患者をふやすわけにもゆかない。
先生から「来月東京に行く機会があったら、ボブ・サップといっしょに飯食いませんか」というお誘いを頂いた(三宅先生は K-1 の専属トレーナーなのである)。
しかし、ボブ・サップと私のあいだにどのような共通の話題があるというのであろうか。
(2003-04-29 00:00)