4月8日

2003-04-08 mardi

鈴木晶先生のホームページのトップページにはいつも、そのときどきの鈴木先生の政治的立場が簡明なるメッセージとともに記されているのであるが、今掲載中のは思わず爆笑。

「神奈川県知事選候補者、田嶋陽子さんの落選を心から望みます。」

鈴木先生は田嶋陽子さんのかつての同僚であり、神奈川県民なのである。
前に、一度「田嶋さんてどんな人?」とお訊ねしたら、印象的な言動の数々を教えて頂いた。
しかし、「落選を心から望まれる」ところまでになる、というのはなかなか常人の不徳の及ぶ境地ではない。その一事をしても田嶋女史の傑物なるを知ることができるのである。

米英軍がバグダッドに侵攻し、大統領宮殿が占拠されたと新聞は報じている。
「大統領宮殿」というのは、しかしなんだか形容矛盾のような気がする。
「官邸」っていうんじゃないの、ふつう?
米英の報道機関がサダム・フセインの独裁者ぶりを引き立たせるために「宮殿」の語をあえて誤用しているのか、それともほんとに「宮殿」を称していたのか。どっちだろう。
気になったのでインターネットで Liberation を読んでみたら、占領されたのは Palais presidentiel とあった。
おや、「大統領宮殿」でよいのか・・・いや、違うね。
フランス語の Palais はたしかに「宮殿」の意味もあるけれど、ふつうに「官邸」の意味でも使われる語である。

Palais de l'Elysee は「大統領官邸」、Palais du Luxembourg は「上院」、Palais Bourbon は「国民議会」。たしかにいずれもかつては王家の所有したシックな建物だけれども、「宮殿」というにはほど遠い。

フランス語の Palais と日本語の「宮殿」はかなり含意が違う。
シラク大統領が執務する Palais presidentiel を「大統領官邸」と訳す日本の新聞は、フセイン大統領の居所は「大統領宮殿」とおそらく無意識的に「誤訳」してる。
報道のイデオロギー性というのは、メッセージの水準ではなく、むしろ語の選択という、それより「一つ手前」の水準において露出するものなのである。

朝日新聞報道を読んでもう一つ気づくことは、その論調の微妙な変化である。
戦争が始まる前は情緒的な「戦争反対!」のトーンが支配的だったのに、開戦と同時に「戦争実況中継」であきらかにうわずりはじめ、そのあと「戦争長期化か?」という懐疑の段階になると、掌を返したようにラムズフェルドの悪口が満載され、思いがけなくバグダッド侵攻が早まると、「フセイン後の政権構想」についてのリアルポリティークの語法が幅を利かせてくる。
別に私はそれが「悪い」と申し上げているのではない。
マスメディアというのは、そもそもそういうものなんだから、それで結構なのである。
しかし、読む側としては、メディアが本質的には「現実を後追いする」だけであり、それにもかかわらず自らは「主体的に現実を変化させるべく働きかけている」と信じているというその「ずれ」を勘定に入れることを忘れてはならないと思う。