4月4日

2003-04-04 vendredi

入学式。桜満開なんだけれど、残念ながら雨。
私もこれで神戸女学院大学の入学式に列席すること14回目となった。
本学の入学式、卒業式はキリスト教の礼拝形式で行われ、パイプオルガンがおごそかに響いて、スピーチが一つ終わる度にみんなで立って讃美歌、学院歌、記念歌などを粛々と詠じて、あっというまに終わってしまう。
スマートなセレモニーである。

図書館で調べものをする。
「ノーベル賞受賞者中のユダヤ人比率」というのを調べているのである。
なかなか適当なデータが見つからない。
とりあえず1908年から1970年までのノーベル医学生理学賞の受賞者が25人というデータを使うことにする。
63年間に25人ということは「その年のノーベル医学生理学賞にユダヤ人が含まれている確率」が40%ということである。
1970年の世界のユダヤ人人口は1420万人。世界の総人口はざっと40億人。
人口比で約0.4%であるから、「標準的な民族集団」の100倍の比率でノーベル医学生理学賞の受賞者がいるということである。もちろん他の分野にもごろごろ受賞者がいる。ベルクソンもアインシュタインもサムエルソンもボーアもファインマンもみなユダヤ人である。
しかし、それで驚いてはいけない。

今回の調べもののもう一つはハリウッド映画のフィルムメーカー中におけるユダヤ人比率である。
知っている人も多いであろうが、ハリウッドの七大映画会社のうちユナイテッド・アーチストを除く6社はユダヤ人が創設したものなのである。(コロンビア、ユニヴァーサル、MGM、20世紀フォックス、ワーナー、パラマウント)
どうしてこういうことになったかについては長い話があるので略すが、驚くべきはユダヤ人の映画人の数だ。
まず監督は、と見ると。

エリック・フォン・シュトルハイム、ジョゼフ・スタンバーグ、ウィリアム・ワイラー、ビリー・ワイルダー、ジョン・フランケンハイマー、ロマン・ポランスキー、オットー・プレミンジャー、リチャード・ブルックス、スタンリー・クレイマー、ウィリアム・フリードキン、スティーヴン・スピルバーグ、ウディ・アレン

俳優だってすごいぞ。

チャーリー・チャプリン、マルクス兄弟、ケーリー・グラント、アル・ジョンソン、エドワード・G・ロビンソン、ロッド・スタイガー、ジーン・ハックマン、ピーター・フォーク、メル・ブルックス、ウォルター・マッソー、ダスティン・ホフマン、ポール・ニューマン、カーク&マイケル・ダグラス、リチャード・ドレイファス、トニー・カーティス、ジェフ・ゴールドブルム、ポーレット・ゴダード、バーバラ・ストレイザンド、ローレン・バコール・・・

結婚してユダヤ教徒になった人も入れるとマリリン・モンローもエリザベス・テイラーも「ユダヤ人」である。

ポップ・ミュージック畑は人が少ないが、『エンサイクロペディア・ジュダイカ』が「ユダヤ系ミュージシャン」として載せているのは、エルマー・バーンステイン、バート・バカラック、キャロル・キング、ビリー・ジョエル、ベット・ミドラー、バリー・マニロウ、そしてポール・サイモン&アート・ガーファンクル。

『卒業』はマイク・ニコルス(もちろんユダヤ系)監督がユダヤ人の青年俳優ダスティン・ホフマンを起用して、ユダヤ系デュオの音楽を全編に使った映画だったのだ。
なーるほど。
そういうどうでもいいことをこりこり調べていたら(でもこういう「どうでもいいこと」を調べるのはけっこう愉しいんだよね)、昨日パリから帰ってきたマスモトさんが登場したので、いっしょに昼飯を食べにゆく。
ご飯を食べてお茶を飲んでから雨の中を家に戻り、「ユダヤ文化論」の講義ノートを作る。(そのための調べものだったのだ)
ついでにコピーしてきた『ジュダイカ』の「JAPAN」の項目を読んでいたら、
「戦後日本において、ようやくユダヤ文化の学術的研究がその端緒についた、その先鞭をつけたのが、小林正之早稲田大学教授の主宰する日本イスラエル文化研究会である」という一文があるのを見てびっくり。
私はその日本イスラエル文化研究会の20年来の会員として久しく小林先生の薫陶を受け、いま、その学会の理事を相務めておるのだ。
なんと、それと知らずに、私は日本におけるユダヤ・イスラエル研究の「保守本流」だったのである。
百科事典というのも(辞書ともども)いろいろと知らないことを教えてくれるものである。

すると角川書店のヤマモト君から泣きの電話が入る。
山本浩二画伯の装幀のアイディアが角川の上の方の気に入らず、もめにもめて、あいだにはいったヤマモト君は苦渋の人なのである。
何とかデザインを変えて貰えませんかねえ。装幀のインパクトが違うと、売り上げが千部二千部違うんですよとヤマモト君は食い下がる。
いいじゃないか、千部二千部くらい。
だいたい、「どうだっていいじゃんか、そういう細かいことは」ということだけを書いている本なんだからさ。さらっと流そうよ、さらっと。
私の本は画伯との「合作」というコンセプトでやっていて、何冊か揃って平積みになると、そこでささやかな「山本浩二展覧会」が見られるようになる、という「大人の遊び」が仕掛けてあるんだから。
売り上げがどうたらとか野暮はいいっこなしにしようよ、ね。

そこへ新曜社からメール。
『私の身体は頭がいい』の「タイトル借用」につき、橋本治先生から許可が出たそうである。
橋本先生からのお葉書の文面は以下の通り。

「前略 お手紙を拝見しました。私としては一向にかまいません。件の一文は集英社新書の『「わからない」という方法』の一番最後に出て参ります。そんなことを入れていただけると宣伝になるので嬉しく存じます。内田先生にもよろしく。草々」

さすが橋本治大先生。かつて私が「橋本治共和国」の文部大臣に立候補した件などはご存知ないであろうが、「はたして私の本意が分かっているのかどうか、危ぶまれます」とかそういうことを言わないで、「はしもとせんせーい」と慕い来るファンの気持ちを汲んで下さるというのがまことに大人の風格である。

それと同時に甲野善紀先生の「序文」の原稿も送られてきた。
これがまた涙なしには読めないハートウォーミングな名文。
死ぬほど忙しい中、また健康状態も決して本調子でない中、これほど長いものを私の本のために書いて下さるとは。
こうのせんせーい。
偉大な先輩たちは、みな宏大な心をお持ちである。
「予告編」としてその冒頭部分のみご紹介しよう。

内田樹先生は頼藤先生(先年亡くなられた神戸女学院大学の教授で、精神科医として有名であった頼藤和寛先生の事)の知性をブルドーザーに搭載したような方ですね」とは、本書にも登場する私の畏友で精神科医の名越康文、名越クリニック院長の弁である。
「やっぱり、かすってますかね」と私。
「うーん、相当かすってますね。ちょっとそのかすり方が他に例がないほど変わってますけどね」と名越院長。「かすっている」とは、名越氏と私の間で時折使われる言葉だが、その意味を上手く翻訳する事は限りなく不可能に近い。直訳すれば、「只者ではない」「普通の人とは本質的に異なった反応をする人」ということであるが、その異なりようにもいろいろあって、「うーん、これは一本参ったな」と、その違いに感嘆する場合もあれば、「もうこの人にはちょっと近寄りたくないな」という、いささか辟易とする場合まで含まれるからである。
そして、そのいずれの場合も我々は「かすっている」と表現する事が多い。しかも、この際の微妙な弁別は、その「かすっている」という言葉の声音やアクセントを僅かに変化させることで表現しているから、これはもう何ともこれ以上説明出来ない。
さて、内田先生に対して我々が「かすっている」と言う場合、どういう思いと感情を込めているかは、読者各位のご想像にお任せするが、「かすっている」という言葉が、とにかく常人にあらざる人に対して発せられるという事さえ御理解いただけたら、我々が内田樹先生を「かすっている人」と断じる事に対しては、本書を始め今までの内田先生の著作やホームページを御覧になった方々の多くは納得されると思う。

名越先生はかつて私の顔をまじまじと見ながら、「狂い過ぎている人は発症しないんですよ、ははは」と笑ったので、私もつられて「名越先生たら、ははははは」と笑い、二人でいつまでも「はははははははは」と笑い続けたことがある。
それを微笑みながら見つめていた甲野先生はおそらくそのときに「(二人とも)かすってるなあ」という感懐を抱かれたのであろう。(たぶん)