4月2日

2003-04-02 mercredi

というわけで、早速頂いた池上六朗さんの『カラダ・ランドフォール』(柏樹社、1999年)を読むことにする。
「ランドフォール」というのは航海用語で「陸が見えたぞー」という意味。
この「陸が見えたぞー」をそのまま地名にしたのが Montevideo だそうである。むかしの水夫というのはラテン語もできたんだね(こういう「豆知識」を与えてくれる本、私大好きである)。
池上さんは元航海士なので、比喩の多くが海洋的である。ちょうどいま寝しなにスティーヴンソンの『宝島』を読んでいるので(「75人で海には出たが、帰ってきたのはただひとり。ヨ・ホ・ホ」)、帆船の専門用語がなんとなくしっくりくる。
読み進むと、これはまた驚くべき本である。

三軸修正法の原理は、「プレセッション」つまり「軸旋回」運動にある。
ウチダは高校一年のときには地学の授業が理解できず、二年になったら物理の授業がわかんなくてなって、そのまま泣きながら高校をフけてしまったバカ高校生なので、こういう話はすべて「初耳」である。
諸賢は先刻ご承知であろうが、私は知らなかったんだから、まあ聞き給え。

十円玉を転がすと、くるくるまわって途中でぱたりと倒れる。
そのとき右の方に曲がると必ず右の面を下にして倒れ、左の方に曲がると必ず左の面を下にして倒れる。
経験的には「あたりまえ」のことであるが、理由を述べよといわれても、ウチダには分からない。
コマを回す場合も同じ。
勢いのよいうちは安定しているが、勢いがなくなると軸がふらふらしてくる。
右回りに回っているコマの軸は右回りに頭を回しながら倒れる。左はその逆。
理由は不明。
しかし、回転体が状態を変えるときには法則があることは私にも推察ができる。
いかなる法則であるか。
コマの場合、右回りに回っているとき、軸をぐいと向こう側に押すと、軸は向こう側には倒れず、右側に倒れそうになる。右に押すと、手前に倒れそうになる。手前に押すと・・・
もうお分かりだね。
コマを倒そうとすると、コマは「倒そうとする方向よりも回転方向90度先に倒れようとする」のである。
これが軸旋回。
回転方向の異なる二つの軸まわりの回転が同時に起こると、その回転体は最も安定した向きに旋回しようとする。
自転車やバイクのコーナリングもそれと同じだ。
車輪は車軸を中心に回転しながら、前方にも回転している。これを右に曲げるためには、右側にリーンしなければならない。リーンしないで、ハンドルだけ右に曲げるとバイクはこける。
タイヤを右側から見ると、右にリーンするということは、右回転している車軸を上から下に押すということである。すると、倒れる方向はその方向と90度ずれるからタイヤは右に旋回することになる。
繰り返し言うように、経験的には当たり前のことなのだが、そういわれると不思議な気分がする。

さらに「初耳」なのは私たちは地球上にいるので、私たちの身体にも軸旋回は働いている、ということである。
地球は地軸を中心にして自転しながら、太陽のまわりを公転している(それくらいはウチダにも分かる)。
だから、北半球にいる私たちは「ただ直立しているだけで、北の方にカラダが曲げやすくなり、南半球では、南の方にカラダが曲げやすくなるという現象」(103頁)が起こる。
そ、そんなの「初耳」です。
人間の身体も微細な粒子でできているわけだから、当然軸旋回の影響を受ける。
例えば、その場でくるくると右回転をしてみて、そのあと体軸をうしろにそらせると、身体は左に曲がりやすくなる。(外側から見ると、コマと同じである。体軸を「コマの軸」と考えると、「うしろにそらせる」は正面から見ると「向こう側に押す」だから、「私にとっての左」は正面からの観察者からみて「右」になる)
おお、プレセッションだ。
ほんまかいな。
で、さっそく本のとおりに実験してみる。
あら-、不思議だ。
書いてあるとおりになっちゃった。
その他、池上さんの本には「身体は微細な粒子から出来ている」とか「傍らにある物体のちょっとした位置変化によってニュートン・ポテンシャル場における力学的布置が変化するので、人間の軸旋回は影響を受ける」というようなことが書いてある。
これは甲野先生の言われる「身体を割ることのたいせつさ」や、多田先生の言われる「すべての運動の基本は粒子の微震動であり、その微妙な変化に反応するのが気の感応である」という理説にどんぴしゃりと当てはまる。
うーむこれは。
また宿題がふえてしまった。
もちろん、このプレセッション原理を明日の合気道の稽古にどうやって取り入れるかという宿題である。
柔軟体操に応用できるのは誰にでも分かる。
例えば、柔軟で右屈するときに、まず立って右回転でくるくる回ってから(早稲田大学合気道会の伝統芸「タイムマシン」のあれだね)、そののち前傾してから右屈すれば身体はびよーんと曲がるはずなのである。(後傾すれば、左に曲がる)。
しかし、それだけでは芸がない。

例えば、入身投げではどうなるか。
右半身で入身に入って、相手の身体を右回転させて崩しながら、後ろにそらせると・・・相手の身体はプレセッションの原理によって、技を掛けている私から離れるように、私から見て右側倒れ込む。
おお、その通りだ。
そこで、さらに相手の背後に進み、回転運動を継続しつつ、後方への反らしをきつくすると、旋回運動はさらに強まり、自ら掘った墓穴のうちに右旋回しつつ埋没してゆくのである。
おおお、これは凄い。
これまで多くの合気道家が入身投げの術理を説明してくれたが、これほど理にかなった説明ははじめてである。
大先生があれほど入身投げを好まれたのは、この複雑な軸旋回運動の妙諦を知ることがそれだけ常人には困難だったからではないのか。

では、四方投げ表はどうか。
右半身で相手の右手を取って切り上げると、相手の体軸は左回転を始める。
かつ相手の身体はうしろに反るから、プレセッションの原理によって相手の身体は90度ずれて、技を掛けている私の方に倒れて旋回を続けようとする。
で、そこをくぐり抜けて、さらに回転を続け、反らしを強めると・・・旋回運動はさらに強まり、自ら床にまっすぐ倒れ込んでゆく・・・ではないか。
なんと。これもどんぴしゃりではないか。

では、一教は?
右半身で相手の右手を取って一教をかける。
相手の身体は左回転を始める。そして、相手の体軸は向こう側に押されるから、当然プレセッション原理によって、相手の身体は90度左側に倒れ込もうとする。
そこで肘を極め、脇の下に蹴り込み、さらに左への倒れ込みを加速すると・・・おおお、これもまたぴったりだ。

なんと。
合気道の基本技三種はすべて軸旋回運動の「旋回運動強化の原理」によって説明可能だったのである。
驚いたなー、もう。
もちろんこのようなことは合気道の身体運用のコンピュータ解析をしている気錬会の工藤君なんかにはとうに熟知されていたことなのであろうが、ウチダは今日はじめて知ったのだ。
こんなことなら高校中退するんじゃなかったぜ。
そういえば、研修会の稽古の時に多田先生がつねに「技のできる人が南側にゆくように」と指示されるのは、そのせいかもしれない。
だって、北半球にいるわれわれは「北にむかって身体が倒れやすい」のだから、取りが南から北に向けて攻め、受けを北に向けて倒し込むというのは、まことに地球物理学の法則にかなった位置どりなのである。
古来より、野試合にあたっては「太陽を背にせよ」ということが基本である。
これを多くの時代劇小説は「太陽の光が目に眩しくて、相手が怯む」というふうに説明しているが、そればかりではなかったのだ。
われわれは北半球の住人だったということなのだ。
ことほどさように武道というのは奥の深いものなのである。
というわけで、合気道会の諸君はウチダの今後の「三軸自在合気道」の展開を刮目して待つべし。