4月1日

2003-04-01 mardi

お招きによって三軸自在研究所の三宅安道先生をお訪ねする。
「三軸自在」とは何であるかという長年の疑問がいま氷解するのである。
どきどき。
診療を待つ人でごったがえす受付で、「あのー、今日お訪ねするってお約束したウチダなんですけど」とおずおず自己紹介すると、診療室から、蓬髪巨躯の三宅先生が「がははは、や、どうも、とうとうお目にかかれましたね!」とどんどんと床を揺らしながら登場。

ウチダは体躯で人に圧倒されるということはあまりないが、三宅先生は(主観的には)見上げるような大男。
ウチダは早口で人に圧倒されることはあまりないが(例外はコバヤシ先生くらい)、三宅先生は単位時間内に私の三倍しゃべる。

あっというまに診療室に拉致されて、あっというまに「うーむ、踵を結ぶラインと仙骨を結ぶラインがずれていますね・・・」から始まる怒濤のような解剖学用語の嵐の中で、ところどころ理解できた範囲では、私の身体は右側に大きく湾曲しており、膝の膿腫も右背中の筋肉痛もすべてはこの身体の軸の歪みを補正するための私自身の筋肉の必死の努力の副産物であるらしい。
たちまち診療台に転がされて全身をぐるんぐるんにされる。
たいへん気持ちがよい。
頸椎の右側に突起があるのをただちに発見され、「触ってごらんなさい」と言われる。そこに腫れたような突起があり、仕事を詰めてやるとそこが熱をもってきて頭痛が始まるのは二十年前からの宿痾であるが、三宅先生は、「仕事をするとここが腫れて頭痛がするでしょ?」と言い当てるや、「では」と言って、あっというまにその突起を「消して」しまった。
こ、これは魔術か。
十五分ほどの診療のあと、「おお、だいぶまっすぐになりましたな。先生の膝は私が治して差し上げます」ときっぱりと断言してくださった。
三宅先生はあの K-1 の主治医なのである。(佐竹も角田も先生のクライアントなのだ)。
まったく思いもよらぬところに、思いもよらぬ人が私の病を治すために出現してきたことになる。
ご縁というのはまことに不可思議なものである。

三軸修正法というのは池上六朗という航海士兼ヒーラーの方が「船荷のバランスをとる技法」を人体に応用して体系化されたものらしい。(本を頂いたのでこれから研究)
その池上先生が私の『寝ながら学べる構造主義』を一読して、「これは使える」と看破されてさっそく百冊(!)購入されたばかりか、それをお弟子の方々に配ると同時に「各自10冊ずつ買うように」と厳命され、「一回読んで、面白かった頁に折り目をつけておいて、二冊目にも折り目をつけておいて、三冊目にも・・・(以下略)10冊すべてで違う頁に折り目がついたことを確認するように」というとんでもない読書法を指示されたのだそうである。
文藝春秋の嶋津さんもまさかこのようなハードコアな販促活動を展開している読者がいたことは存じ上げないであろう。
ともかく、その池上先生のお弟子であり、三軸修正法の実践者であり、阪大医学部ほかで画期的な共同研究を展開していて、年間11000人の患者を治癒されている、「摂津本山の赤ひげ」のような方が私を治癒されるべく雷鳴とともに来臨されたのである。

今日の訪問の主旨は池上先生が7月に芦屋で行う講習会にゲスト講演者として2時間「学ぶとは」というテーマで話すというオッファーにご返事するためである。
講演するにも「三軸修正法」の何であるかを存じ上げないのでは話にならないので、百聞は一見に如かず、膝を診てもらいがてら保険証持参でうかがったのである。(お代を払おうとしたら「わはは、今日は診療協力ということで」無料の上、本を三冊頂いてしまった)
三宅先生のお話では、当日の聴衆は全員私の本の(強制的)読者だそうである。(そんな集まりはジャックの「街レヴィ派総決起集会」くらいしか経験がない)
そうと聞いては、参上しないわけにはゆかない。
しかし、繰り返し言うが、「ご縁」というのは不思議なものである。
池上先生、三宅先生が私に興味を持たれたのが、私の書いた身体論の本ではなく(まだ出てないから当然だけど)、『寝な構』によってというのがまことに不思議である。
いったいあの本のどこに興味を持たれたのであろう。
近々三宅先生とはお食事をするというお約束をしたので、そのときにじっくりうかがうことにしよう。
なんだか狐につままれたような感じで、いきなり軽快になった身体でほいほいスキップしながら家路につく。

甲野先生は整体の野口裕之先生という専属ヒーラーがいる。
三宅先生はあるいは私のために出現した「宿命的ヒーラー」なのかも知れない。(おお、ラッキー)
本というのは出してみるものである。
というのが本日のささやかな教訓。