3月12日

2003-03-12 mercredi

これまで共同歩調をとってきた英米のあいだに温度差が生じて、イラク攻撃をめぐる国際的な緊張が高まってきた。
イラクの保持する大量破壊兵器の廃棄期限を17日とした英米の決議案に対して、仏独露は査察継続を求め、中間派6カ国は45日の延長を求め・・・四分五裂の安保理だが、ここへ来て英国内の反戦世論の高まりで米英に亀裂が生じた。
英は中間派の取り込みのために決議案の修正を試みたが、アメリカはこれを無視した。
タイムズの世論調査では、「決議案なしでもイラク攻撃」に賛成の市民派アメリカで55%、イギリスで19%。この世論の温度差は大きい。すでに足元の労働党からもブレア首相退陣要求が出ており、閣内からも批判が噴出してきている。
どうなってしまうのか。
おおかたの予測ではアメリカは単独でもイラク攻撃に踏み切るだろう、というものである。
もちろん私は開戦には反対である。ぜひともアメリカには思いとどまっていただきたいと思う。
アメリカの暴虐に対して怒っているからではない。
アメリカに同情しているからである。
このまま戦争に突入したのでは、アメリカの人たちがあまりに「かわいそう」だからである。
しかし、どうしても「やりたい」というのなら、静かに肩をすくめて立ち去るしかないだろう。
その所以を以下に述べる。

アメリカがこのままイギリスさえも取り残して、単独でイラク攻撃に踏み切った場合、そのあとの国際社会はどうなるか。
もちろん戦闘レベルでは米軍が圧勝するだろう。フセインはどこかに亡命するかも知れない。(リビアかスーダンかロシアか)
しかし、フセインなきあとのイラクに親米の民主政権、成熟した市民社会が誕生するという可能性はきわめて不確かだ。たぶん国内は四分五裂の内戦状態になるだろう。
これだけ長期に渡る独裁政権だ、その「重石」が取れたあとに、どれほどの反動が来るか、想像ができない。おそらくすさまじい暴力の嵐が吹き荒れるだろう。
かの「文明国」フランスでさえ、第二次大戦末期、ドイツ軍の撤退後、「対独協力者」5000人が同胞の手で「粛清」された。イラクでどれほどの規模の「粛清」がなされるか、想像したくない。
イラク攻撃がなされれば、まず戦争でアメリカ人にイラク人が殺され、政権転覆後、内戦と粛清でイラク人がイラク人に殺され、国内の混乱に乗じて国境を侵犯してくる非友好的な隣国や少数民族との戦闘でイラク人と周辺の人々が殺され、それらの死者を「弔う」ためにアメリカとその同盟諸国およびありとあらゆる敵対諸国に対するテロ行為で各国の人々が殺される・・・ということだけが確かである。
おそらくこの戦争がどう転ぼうとも、このあと数年にわたって、アメリカ国内ではこれまでとは比較にならないほどの頻度で、市民を標的にした無差別テロ(爆弾テロ、ハイジャック、生物化学兵器の散布など)が「自爆的テロリスト」の手によってなされることになるだろう。
アメリカの「イスラエル化」が始まる、ということだ。
爆弾と銃声と悲鳴と泣き叫ぶ市民と怒り狂う政治家の声だけが繰り返しメディアで報じられるような国が、この先国際社会で指導的な知見を語るということはもうなくなるだろうし、経済活動は深刻な打撃を受けるだろうし、人々の胸を躍らせた「アメリカン・ドリーム」の呪力は失われるだろうし、投資家も、留学生も、科学者も、芸術家も、観光客もアメリカを離れるだろう。
私はブッシュがイラク攻撃を宣言した日に「アメリカの没落」、それも急速な没落が始まると予想している。
「悪い予想」はいつも当たる。
しかし、それはアメリカ国民が選んだ未来である。
人はそれぞれ身の丈に合った「自分だけの不幸のかたち」を選ぶ。
なぜ、「自分だけの幸福のかたち」ではなく「自分だけの不幸のかたち」なのか。
それは、幸福は単一のものに帰着するが、不幸のかたちは無限に多種多様だからだ。
人間は「幸福であること」よりも「ユニークであること」により多くの価値を見出すような生き物である。
だから、「ユニークな不幸のかたち」を求めて「平凡な幸福」(国際社会からの信頼と敬意、安定した経済体制、豊かな文化資源、平和な毎日・・・)を棄てるという選択をアメリカ国民がしようとするのであれば、それを止める権利は誰にもない。
それはイラクや北朝鮮についても同様である。
サダム・フセインや金正日は悪逆無道の独裁者であるが、そのような指導者を頂く政体はそれぞれの国民の合意の上に形成されたものであり、イラクや北朝鮮の現体制は、それぞれの国民がみずから選んだ「彼らだけの不幸のかたち」である。
それを「もっと、みんなが幸福になれるような、ふつうの制度に変えろ」というのは「余計なお世話」である。
そういうことを求める方が間違っているのである。
だって、「ふつうじゃ、いやだ」というのがかの国民諸君の「本音」なのだから。
みなさん、他の国とは「とにかく」違っていたいのである。
そして、「他の国より『幸福になる方向に』違う」ということはありえない。
だって、「幸福」というのは人類全般に共通する無徴候的なものだからだ。
だから、オリジナリティやユニークさの追求は必ず「より不幸になる方向」に向かう。
そして、不幸な国の人々は、その不幸に耐えるためには「私たちの国ほどユニークな国は世界史上にも存在しない!」という方向で自らを慰撫するしかないのである。
そうやって、「ユニークな国」は、さらに前代未聞の国家的実験を繰り返し、これまで人類が決して試みたことのないような「新奇」さを追求し、ひたすら「不幸」になってゆくのである。
アメリカはその道を進み出した。
それはイラクと北朝鮮が「進んできた道」と同じ道である。
私たちはこのあと「アメリカ帝国の没落」というスペクタキュラーな歴史的プロセスを砂かぶりで拝見することになるだろう。
なぜ、あらゆる帝国は自滅するのか?
それは「幸福であること」に人間は耐えられないからである。
退屈だから。