3月12日

2003-03-12 mercredi

山のようにたまった郵便物をかたっぱしから開封して、返事を書くものには返事を書き、棄てるものは棄てる。
旺文社から封筒が来ている。
何だろう、誰かから献本かしら・・と思って開くと、「入試問題集」への掲載許諾のお願いである。
なんと、私の知らぬまに『「おじさん」的思考』が今年二つの高校入試の問題に使用されたのであった。(東海高校と学芸大付属高校)
そういえば去年、予備校から二回模試出題の許諾申し入れがあった。
そして、実際に入試に二回出たということは、予備校関係者の「予想」が的中したということである。まことにプロというのはたいしたものである。(模試の方は大学入試だったかも知れないが)
東海高校というところは存じ上げないが、学芸大付属高校にはまんざら縁がないわけではない。(私は「学芸大付属中学の偽卒業生」として、付属中のスキー合宿に先輩面して1970年から73年まで参加したことがある)
しかし、入試問題に採用されると聞くと、実は内心忸怩たるものがある。
というのは、私はかつて『ためらいの倫理学』にこう書いたことがあるからである。

「何を隠そう、私は受験生としてはすばらしく要領がよかった。現代国語の問題などでは、瞬時のうちに出題者が『どういう答えを書いて欲しいか』を読み当て、すらすらすいすいと心にもないことを書いて満点をとることができた。そして、十七歳くらいの子どもに下心を読まれる出題者のことを『バカだ』と思っていた。当然、『バカ』が出題する教科ほど私は高い点数をとった。」

私の文章を読みながら、「けっ、バカが」と鼻息を吹かしながら、「すらすらすいすいと心にもないことを書いている」十五歳の受験生のことを想像すると、どきどきしてしまうのである。
天に向かって唾を吐くとはこのことである。
もちろん入試問題はむずかしくて私にはまったく答えが分からなかった。(問一)

【問一】
太線部での作者の韜晦は何を意味しているのか、正しいものを一つ選びなさい
1・出題委員の知性とセンスに対する敬意を表そうとしている。
2・入試問題が解けずに高校を落ちてしまった受験生を励まそうとしている。
3・テクストの書き手が賢いのでバカには解けないのだと言おうとしている。
4・しかし、「書き手が賢いのでバカには解けない」ということになると、今問題を解きつつある私は「バカ」だということになってしまう。こ、これは困った、という窮状への同情を求めている。
5・自分が書いたテクストが入試問題に出ると「いやー、全然できねんだよ、これが(笑)」と言うことになっている「物書きのお約束」に従っている。

ためらいの倫理学

狂歌の出典について、次々と情報が寄せられた。
本願寺の藤本さん、一橋の佐々木先生、どうもありがとうございました。
オリジナルは

「ほゝとぎす自由自在にきく里は 酒屋へ三里豆腐やへ二里」

作者は頭光(つむりのひかり)(1754-96)本名、岸宇右衛門。江戸天明期を代表する狂歌師。四方赤良(よものあから、こと太田蜀山人)門下の逸材で、宿屋飯盛(やどやのめしもり)とともに「四天王」と称せられた。
「ほゝとぎす」は天明狂歌を代表する名吟。
佐々木先生のご指摘によれば、

「『鎌倉三代記』7段目≪絹川村閑居≫の時姫の出の浄瑠璃の文句。北条時政[実は家康]の娘の時姫(実は千姫)は、恋人の三浦之介[実は木村重成―この当たりから完全に虚構の世界]の実家[母方]に押しかけ女房に来ていて、姫装束に角隠し(埃よけ)をして、豆腐を買って戻ってくるという設定での、花道の姫の出の浄瑠璃にこの文句があります。作者は、多分近松半二、初演は天明元年(1781)」

おそらくこのころ、この一句は江戸中の人たちが「ちょいと酒屋へ」とか「ねえ、お豆腐買ってきて」とかいうたびに愛唱されていたのあろう。
しかし、「本歌取り」が言うのもなんであるが、「ほゝとぎす自由自在にきく里は」よりも「ティファニーの角を曲がって三軒目」の方が個人的には好きだな。立体感があって。

あのね、ウチダくん。バカ言っちゃいけませんよ。
君のパロディは全部「空間的比喩」だけじゃない。ところがオリジナルはちゃんと「ほゝとぎす」という「夏の季語」と「音響」が入っているわけよ。
初夏ののどかな村里。青空に響くほととぎすの声。薫風になぶられる緑の木々・・・
そういう聴覚、触覚、味覚、嗅覚をぜんぶ動員させて味わえるところが名吟の名吟たる所以なわけよ。君の「ティファニー」に音がある? 香りがある? うん?

シロートは困るよな、これだから。
なーに、言ってんだか。「ティファニー」から音がしない? 季節感がない?
もう、やだなー。勉強ばっかしてるおじさんは。
あのね、「ティファニー」は季語なの。すでに。
いつのかって?
12月だよ。
クリスマスの季語に決まってんじゃん。
音だって、あんだよ。ちゃんと。
「ティファニーの角を曲がって三軒目」の上の句で、「教養ある読者」はさ、頭の中にジヴァンシーのイブニングドレスにサングラスのオードリー・ヘップバーンの姿がばあんと浮かんでくるわけ。
で、寒いの。
朝早くだし、寝てないし、肩丸だしだから。
ああ、寒いなあ・・・はやく家にかえって、湯豆腐に熱燗で、あったまって、ごろごろ寝ちゃおっと・・・と思って角を曲がるとさ、きこえてくるわけ。どこからともなく。
ヘンリー・マンシーニの『ムーン・リバー』が。
はい、おあとの支度がよろしいようで。