3月8日

2003-03-08 samedi

私の上京に合わせて、日比谷高校の級友諸君がクラス会を開いてくれた。
肝いりはいつもの藤田 "永世幹事" 直行くんであるが、彼の采配よろしきを得て、今回はひさしぶりに「1967年の日比谷高校ワースト四悪童」が一堂に会した。
1967年のワースト4というのは高橋規一くん、板垣恵一くん、逸見徹くん、そして私の四人である。
主観的にはそれほど悪いことをした意識はないのであるが、(「ワースト4」というのは制度的には「学年でビリから四人」という意味である)当時の級友たちの証言を徴するならば、私たちのせいで、級友たちは教場における集中をいちじるしく阻害され(そのために私たちの毒気の吸引範囲に座席を有していた藤田くん菅谷彰くんはじめ多くの級友は心ならずも浪人を余儀なくされた)、教師たちもその教育的情熱の過半を失い、それがために日比谷高校の凋落の遠因となったとされているほどに態度が悪かったらしいのである。
私ははやばやと高校二年で学校から追放されたが、残る三人は年季を全うされて、私なきあとも卒業まで孜孜としてその「反教育的活動」に専念せられた由である。
しかし、不思議なのは、当時教師たちから「日比谷高校の恥」あるいは「癌」などと告知されたこの悪童たちが、その後、神罰仏罰もゼウスの雷撃も受けることなく、さらに悪逆無道の限りを尽くし、それぞれに世にはびこっておられることである。

高橋くんはその後外科医となられ、いくつかの病院を経営されるかたわら、赤倉では滑降レースのコーチを勤め、デイトナでは自らのチームを率いてポルシェを疾駆させるスーパードクター、「西台のブラックジャック」として近隣の病める人々の深い敬意を集めている。

板垣くんはさまざまなニッチ・ビジネスを経験されたあと、映画編集者となり、宮崎駿映画の「予告編」制作者として、ほとんどすべての宮崎作品に参加されておられる。だから、『トトロ』や『千と千尋』などを見て、ぐすぐすと涙ぐんで最後のクレジットを眺めているたびにご高名を拝見して、「ああ、恵一くん、ジブリのお仕事してるんだ」と確認することができるのである。(今回はたいへんにお若い奥様をお連れになっていた)

逸見くんは某大手広告代理店の幹部となられた今も無法ぶりは十代のころとあまりお変わりがないようで、ジャックダニエルのグラスを傾け、紫煙に目を細めつつ、「ま、なんだな、最近のわけーもんは、世間をダマすテクつうもんがわかっとらんわな」などと神をも恐れぬ言葉を依然として発しておられた。

かの悪童たちがいずれも無事に知命を過ぎ、それぞれの業界で立派にお仕事をされているのを見て、心なごみつつ、名刺交換のときに目を細めて、「おい、ウチダの名刺、字が薄くて読めねーぞ」と老眼鏡を探すあたりに歳月の重みを感じるウチダなのではありました。
昨日の会には公務多用のために、"ボンクラの帝王" 小口のかっちゃん(某医科大学理事長)と "お玉ヶ池最後の博徒" ユウイチくん(今井モータース社長)がお見えにならなかったのがまことに残念であった。
なお彼らの少年時代の初々しい面影を知りたい方は本ホームページの「非日常写真館」をご覧下さい。