3月7日

2003-03-07 vendredi

雨が続く。日曜日に干した洗濯物がまだ取り込めずに、ベランダでぐずぐずしている。
低気圧なので、ぼおっと起きだして、明日の日比谷のクラス会の連絡をナカイのタマちゃんに入れる。
タマちゃんは高校の同級生で、同業者である。(NHKのフランス語講座の先生だったから、業界的にはウチダの1000倍くらい有名人である)
タマちゃんは少し前まではお隣のK南女子大の先生だったけれど、数年前から東京のS百合女子大というところの仏文の先生になった。
「どう、元気にしてる?」
という挨拶もそこそこに、大学がもう大変でさ、という愚痴の応酬になる。

S百合女子大の仏文は定員120名だそうである。
それだけの定員を毎年確保するのはたしかに大変だろうと思う。これから2009年にかけて18歳人口が激減する中で、その定員を確保し、かつ教育内容を維持するのは絶望的に不可能だろう。
そもそも大学ではぜひフランス語とフランス文学を専攻したいと切望している受験生がいったい、今の日本に何人いるのであろうか。
1000人もいない、と私は思う。
東大の仏文でも、進学してくるのは毎年せいぜい数人だろう。以前、東大独文では進学者がゼロの年があった。仏文でも事情は変わるまい。
当然だと思う。
だって、いまどきの16歳や17歳の少年少女は「フランス」に何の興味もないのだから。

私が高校生の時代(1960年代の後半)に、「文学派」の子どもたちはサガンやサドやラディゲやランボーやニザンを読んでいた。「哲学派」はサルトルやカミュやメルロー=ポンティを読んでいた。「早熟派」の諸君はすでにブランショやデリダを読んでいた。「映画派」はゴダールやトリュフォーを見ていた。「音楽派」はジョニー・アリディやシルヴィ・バルタンやジャック・ルーシェを聴いていた。そこにどどどとレヴィ=ストロース、アルチュセール、バルト、ラカン、フーコーらが雪崩込んできたのである。

だから、その時代の高校生にとって「フランス語ができる」ということは、当今の「TOEICが900点」というのと同じくらいの知的ステイタスだったのである。
私が進学した73年の仏文科は一学年30名を越していた。文III全体で370人だから全人文科学系学生の10%近くが仏文科に進んだ勘定である。
いまは「そういう時代」ではない。
もちろんフランス文化自体は今でもそれなりの厚みを維持しているし、質の高い文化的生産物を送り出してはいる。(だいぶテンションは下がっていることは否めないが)
けれど、それを「直輸入一手販売」していたわが「仏文業界」はこの30年間、市場の確保やニーズの掘り起こしや新規商品の開発のために、まるで何もしてこなかったのである。
便々と過去の遺産にあぐらをかいて、重箱の隅をつつくようなマニアックな訓詁学を「手堅い研究業績」としてほめあげてきただけだ。
そして、フランスの文物を受容し消費し享受する成熟した知的マーケットそのものが消滅するさまを、ただ「ぼおっ」と眺めていたのである。
過去30年間、その仏文的教養を、日本社会の知的深化と成熟のために惜しまず注いだ仏文学者の名前を私たちは何人挙げることができるだろう。
ほとんどの仏文学者は「フランス文学」や「フランス思想」はたいへんにハイブラウなものであるから、「無学なものは敬して近づかないように」という排他的な視線をこの30年間あたりに投げかけ続けてきた。
彼らにとって批評の基準は「業界内的」なものに限定されており、彼らがその動向に配慮すべき「マーケット」には「大学教員ポストの配分にかかわる人々」しか含まれていなかった。
そういうふうにして、私たちの業界は、研究業績を「業界内部的な価値観」に基づいて判定されること以外には何も関心もない研究者を30年にわたって育成してきたのである。
彼らは「業界外部」というものが存在するということを考えたこともない。
だから、いずれ「業界外部」から、「そんな業界が存在するなんて、知らなかった」という告知がつきつけられることになる可能性についても考えたことがなかったのである。
どのような業界であれ、「新人」たちは「ウッドビー業界人」たる「業界外」の少年少女の中からリクルートされる。だから、参入してくる新人の質を上げようと思ったら、少年少女たちに「いつか仏文学者になりたい!」と思わせるような「外向きの」パフォーマンスを業界人はつねに心がけなければならないのである。
そんなのは、当たり前のことである。

「おじさん、強いんだね!」
「ふふふ、それほどでもないよ」
「どうしたら、そんなに強くなれるの?」
「それはね、坊や。合気道をしているからなんだよ」
「え、ぼくもやりたいよお! 教えて、おじさん!」
「まだちょっと早いかな、坊やには。大きくなったら、この道場に私を訊ねておいで(はい名刺)、じゃあね」
「おじさーん! ぼく必ず行くよお!」

というようなのが「新人リクルート」の基本である。
むずかしい話ではない。
しかし、仏文業界はその「基本」を忘れたまま30年を過ごしてきた。
そして、その結果、私たちに向かって「おじさーん、フランス文学教えてー!」と期待に身体をふるわせて叫ぶような少年少女が一人もいなくなってしまったのである。
新人が供給されなくなるということは、「仏文業界」そのものが消滅することを意味している。
これほど単純なことに30年間うちの業界のみなさんは誰も気づかなかったのである。
滅びて当然だと思う。