3月6日

2003-03-06 jeudi

確定申告に行く。
芦屋に引っ越してきたので、税務署まで原チャリで3分で行ける。並んでいる人もあまりいないので、納税もぐんと楽になり、ますます納税意欲が昂進してきた。
私の申告は早い。
なにしろ所得の費目が「給与」と「雑所得」の二種類しかなく、経費が「ゼロ」なのである。節税専門家のジロー先生が聞いたら、怒り出すであろうが、ほんとうに経費ゼロなのだからしかたがない。

私の仕事に要るのは書籍と映画ソフトだけである。それらはほとんど大学から支給される研究費でまかなえる。
エンターテインメント系の書籍と映画は自腹で買うが、これは純然たる「享楽」であって、もとより「経費」として計上すべきすじのものではない。
武道のお稽古もほとんど経費を要さない。
関連する支出の中では、東京の多田先生の講習会に参加するときの交通費講習料とか、能楽のお稽古で下川先生にお納めしているお月謝お役料とかが、「身体論研究のための資料収集ならびに専門的助言への謝金」に該当するかも知れないが、いくら私が図々しくても、多田先生に講習料をお納めするときに、「センセイ、確定申告のときに経費で落としますから、領収書下さい」とは言えない。
あとはパソコンや通信関連のものが経費と言えば経費と言えなくもないが、これとて仕事と遊びのあいだのボーダーは限りなくグレーである。
つまり、私はほとんど朝から晩まで個人的な愉しみに興じているわけであり、その「遊び」の余禄がときどき論文やら書物やらのかたちで「仕事」として物質化することはあるが、あの「愉しみのとき」をそのような「仕事」をなしとげるための先行的な投資である、というようなことは申し上げにくいのである。

というわけで、私は毎年すがすがしく「経費ゼロ」で申告しているわけである。
当然、所得税は多い。
しかし、納税は憲法第30条に定めるところの「国民の義務」である。
できるだけ多くの税金を国庫にお納めするのが「愛国心」の発露のもっとも素朴にして至純の形態であると私は信じている。
しかるに「公共の福利」だの「国益の擁護」だの「私権の制限」だのということを声高におっしゃる方々のうちに、この「国民の義務」を軽視される方が散見されるのがウチダにはよく理解できないのである。

国際社会どうであるとか、構造改革がどうであるとか大言壮語する前に、政治家諸君はまず税金を払い給え。
話はそれからだ。

私は「愛国者」であるから、まずできるだけ多くの税金をすみやかにお納めするという素朴な義務の履行から国益に貢献したいと考えているのである。
去年はずいぶん仕事をしたような気がするが、計算してみたら、「雑所得」は450万円ほどであった。
そのうち10%が源泉でさっぴかれ、90万円が今回追徴され、自己破産者に200万円を騙し取られ、引越に200万円あまりかかったので、この一年の収支は「赤字」である。
結局、一年間身を粉にして働いて手元に残ったのは、アルマーニのスーツが二着と、アカスキュータムのコートが一着だけであった。
しかし、この「身を粉に」活動によって、今後久しくウチダの安定的収入源となるはずの数千人の「ウチダ本の定期購読者」という方々がゲットせられたのであるから、総じて、財政的にも「よい一年」であったと申し上げてよろしいであろう。
という前向きな総括を行って、税務署を後にし、その足で銀行の窓口に駆け込み、税金をお納めする。
ああ、国民の義務を果たしたあとは気持ちがいいなあ。

ところで、最近の若い人の中には憲法が国民の義務を定めているということをご存知ない方がおられるかに仄聞しているので、この機会に改めて、私たち日本国民の「義務」について確認をさせて頂きたい。
三大義務とは

(1)教育の義務「すべての国民は法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負う」(憲法第26条)
(2)勤労の義務「すべての国民は勤労の権利を有し、義務を負う。」(憲法第27条)
(3)納税の義務「国民は法律の定めるところにより、納税の義務を負う。」(憲法第30条)

「保護すべき子女」がおり、「勤労しており」、かつ「納税している」もの。それが日本国憲法が想定している「日本国民」の原像である。
憲法は「大人」を相手に話をしている。
この法律が言う「日本国民」とは「大人」のことなのである。
「子ども」や「遊民」や「脱税者」は「日本国民」のフルメンバーとしては想定されていない。
つまり、この「国民の三大義務」を論理的に基礎づけているのは、「国民はすべからく大人でなければならない」という(条文化されざる)「大人である義務」なのである。
なんと、奥行きのある憲法ではないか。

「大人になれよ」

日本国憲法は無言のまま私たちにそう語りかけているのである。
というわけだから、確定申告がお済みでない諸君は、ただちに粛々と国民の義務を果たし、爽快な気分で税務署を後にしていただきたいとウチダは思う。