2月23日

2003-02-23 dimanche

下川正謡会新年会。
新年会といっても、べつにお社中のみなさんが集まって宴会をするわけではない。
6月の大会の「リハーサル」を兼ねて、いろいろとお稽古の発表をするのである。
最初の『神歌』から最後の舞囃子『船弁慶』までほとんど休みがない。
素謡『正尊』の後ツレ、独吟『船弁慶』、素謡『望月』、『景清』、『求塚』と仕舞『羽衣』の地謡。後の時間はビデオ係。
下川先生と能楽歴60年の帯刀さんと長谷川さんというお二人の兄弟子と一緒に地謡をさせていただく。
こういう方々といっしょに地謡をするというのがどういうことかというのは一般の方にはお分かりいただきにくいと思うが、強いて喩えるならば、エリック・クラプトンと前川清と桑田佳祐といっしょに Wonderful tonight をハモるような気分のものである。
たいへんにグッドバイブレーションな経験であることはこれでご想像いただけるであろう。
朝の九時から午後六時まで、ずっと紋付き袴で舞台に上がったり降りたりしているわけであるから、心身の疲労は言語に絶するのであるが、最後の舞囃子『船弁慶』で無事に長刀で地謡のみなさんの頭をかち割るようなへまをせずに済ませて、とりあえず深い安堵のため息をついたのである。
下川正謡会の本番は6月1日(日曜日)、湊川神能殿である。
ウチダは「平知盛」の幽霊となって、長刀で義経と弁慶と渡り合うことになっているので、お暇な方はご笑覧下さい。
なぜ、こんなに忙しいときに能楽の稽古などに時間とエネルギーを割くのか、と疑問を持たれる方もおられるかも知れないが、私の学術的研究と武道の稽古と能楽の稽古はすべて帰するところ一つなのである。
「どこが」ということは一言では申し上げにくいが、そうなんだってば。

今朝、ぼわーっと起きてきて、コーンスープを啜りながら、寝ぼけ眼で新聞を拡げたら、「帰ってきてよ! ぼくたちの正しいおじさん」というタイトルと高橋源一郎の写真が目に入った。
「お、源ちゃん、今週はどんな本の紹介なのかな」と老眼鏡をかけなおして読み始めたら、これが私の『女は何を欲望するか』の書評であった。
こういうのは心臓に悪い。
考えてみたら、私は高橋源一郎とか小田嶋隆とか矢作俊彦とか村上春樹とか橋本治とか中島らもとか村上龍とか、私にとっての「アイドル」が私の本を読むというような事態はまったく想定していないでものを書いていたのであった。
そういう方々が私の本を読んだらどういう感想を持つだろうか、というようなことは私の貧しい想像の埒外である。
しかるに、何の心の準備もなく、新年会の会場に九時までに着かないとね、忘れ物ないかな、足袋忘れてないかな、謡本全部持ったかな、というようなことに気を取られつつ、カップスープを啜っているところで、いきなり高橋源一郎書くところの拙著の書評を読んだのである。

私がどれほど驚いたか、ご想像頂けるであろうか。

これは私がこれまで読んださまざまなウチダ本の書評のうちで、個人的にはもっとも「感動」したものであった。

この「感動」は、強いて言えば、エリック・クラプトンのところにチャック・ベリーから電話があって、「君のレコード買ったよ」と言われたような気分のものであると言えば、あるいはご想像頂けるかもしれない。
いや、私をクラプトンに喩えるのは、ちょっと尊大だな。
むしろ、カーナビーツのところにゾンビーズから電話があって、『好きさ!』買ったよ、と言われたような気分のものである、という方がより近いかもしれない。(それにしても喩えが古いな)
ま、とにかく。

私がその人の本を読んで、「なるほど! そ、そうだったのか」と思い、「それではワタクシも先賢の驥尾に付して・・・」と、ものを書くようになった当のご本人から「いまは内田さんの本をワープロの横に積んでおいて、頭がクリアじゃなくなってるなと思った時、それをめくり、その思考の美しい(スウィングの)軌跡を追い、乱れた自分のフォームをチェックしている」というような感想を頂いたのである。
まことにありがたいことである。
高橋源一郎さん(と敬称つけちゃうね)の書評は「我々には内田樹が、公正な査察官が必要なのだ。内田さん、カム・バック!」で終わっている。
私はどのような問題についてもかつて一度として「公正な査察官」であったことがないので、(卒論の成績査定の場合などはとくにその傾向が強い)この点については高橋さんはかなり勘違いをされているような気がするが、私は「他人から過大評価された場合には、静かに Go on と告げればよろしい」ということを(「親しき仲にもお世辞あり」という古諺とともに)先週、ヤベッチとおいちゃんに説教したばかりなので、あえて訂正の暴挙に出るような非礼は差し控えたいと思う。
それにしても「カム・バック!」には困った。
だって、来月からばんばん本が出るんだもん。
それもどちらかというと、「公正」というような形容詞とは限りなく無縁な、「ふつう、人間って、ここまでエラソーに断言するか?」というような、良識ある人々の眉を曇らせずにはいないものが雪崩打って出版されるのである。
あああ、困った。
高橋さん、怒るだろうなあ。
「げ、こんな奴の本をほめちゃったよ」と思われたらどうしよう。(思うな、絶対)
ああああああ、困った。