2月19日

2003-02-19 mercredi

引越にまつわるさまざまな用事がまだ終わらない。
転入届け、印鑑登録、免許の住所変更、銀行口座の住所変更、ウォシュレットの取り付け工事、エアコンの取り付け工事、隣近所へのご挨拶(アンリ・シャルパンティエのプチガトーをお配りする)、収納グッズの購入、住所入りはんこ作成、名刺の作成、転居通知の印刷と発送(これがいちばんの大仕事であるが、まだやってない)
なかなか面倒なものではあるが、さすがに「引越19回」ともなると、こういうルーティンも慣れてきて、それほど苦にならない。
「引越が面倒になったら、人間終わりだ」というのは25歳くらいのときに天啓のごとく私の脳裏にひらめいた箴言である。
天啓のごとくひらめいたといっても、所詮は私が考えたことなのであるからして、いかなる一般性もなく、「引越がキライ」という方に死亡宣告を申し上げているわけではないので、どうか気にしないで下さい。(気にするか)
それでもなお天啓のよってきたるところを追尋するためには、「引越が面倒になる」状態というものを私がどう観念していたのかを列挙する必要があるだろう。
考えつくのは次のようなものである

(1)ものが増えて荷造りが面倒である(コレクションをしているひとはおおくこの傾向にある。それゆえ私はコレクションというものをいっさいしない)
(2)引っ越す金がない(これは前件と矛盾する。コレクションをやめれば引越資金くらいすぐにたまるであろう)
(3)地域のしがらみがあって抜けられない(こどもの学校のPTA会長をしている、地元選出の代議士をしている、町内に愛人を囲っている、いきつけの焼鳥屋から離れられない・・・などの理由が考えられる)
(4)いま住んでいるところがたいへん気に入っている(私はこれまで二カ所の例外を除いて、住んでいるところがたいへん気に入っていた。平間は隣の部屋との壁が3ミリくらいしかなく、お互いの話が丸聞こえであった。九品仏は枕元が共同便所で、毎朝、他人の排便音で目が覚めた)

どうもこうやって考えてみると、私は(平間と九品仏を除いては)「何か目的があって」引越をしているのではなく、引越それ自体が目的化していたようである。
やはりこれは「趣味の引越」あるいは「イデオロギーとしての引越」ないし「オブセッションとしての引越」というカテゴリーをあらたに設定しなければ説明できない。
私とおなじく趣味の引越マニアである村上春樹によると、引越は「全部チャラ」になるところがよいそうである。
私もまたおそらくはさまざまなものを「チャラ」にしようとしているのであろう。

18日は『長崎通信』のハヤナギ先生とご友人の中橋誠さん友子さんのご夫妻と会食する。中橋ご夫妻とは初対面。
北野のフレンチレストランでシャブリなどを呑み、鴨など食す。たいそうたいそう美味である。
私はフランスではやむなくフランス料理を食すこともあるが、ほとんどはエイジアン・フードかファースト・フード、せいぜいイタリアンである。
フランスでフレンチのフルコースを食べるというのは、タイで「タイ風カレー」を食べたり、上海で「上海風焼きそば」を食べたりする場合と同じく、なんとなく「美味探求」というか「異文化理解」というか、若干肩にリキが入ってしまうのである。
しかるにウチダは飯を食うときはできるかぎりリラックスしていたい、その方がなんでも美味しく感じるという偏頗な人間である。
だから、進んでそういうところにはゆかない。できれば、毎日同じもの(納豆やラーメン)を食べて、心静かに過ごしていたい。
誤解して頂きたくないが、私が「美味探求」をしないのは、「肩に力が入るのがイヤ」だからではない。
そうではなくて、美味しいものを食べていると、その美味を味わい尽くすべく、どんどん「リラックスしてしまう」からである。
それは私本人にとってはたいそう快適なことなのであるが、私がリラックスしてしまうと、それによって損なわれる方々というのがおられるのである。
ドレスアップした人々が低い声で会話をかわし、銀器の音と、グラスの触れ合う音しかしないような高級レストランで、「ぐふふ、ぐふふ、これ、めちゃうめー」というような率直な感想を大声で告げ、さらにワインなどで酩酊するに及ぶや談論風発放歌高吟、レストランの静寂を台無しにしてしまうのは私です。
おのれのそのような性癖を熟知していればこそ、私は美味探求を久しく抑制してきたのである。
さいわい、同行のハヤナギ、中橋夫妻もまた私と同傾向の「美味しいものを食べると自制心を失う」タイプの方であり、あまりの美味しさに、全員どんどんリラックスしてしまうことになった。
不幸にも私たちの隣のテーブルについた若いカップルは、相手の声が聞き取ることもできず、高額を投じたデーであろうに、むなしいひとときを過ごされていたかのようである。まことにすまないことをした。

マダム中橋はカウボーイ映画を主題にした修士論文を書いているというお話をうかがったので、さっそくウチダは得意の「西部劇=ミソジニー論」を展開する。
マダムははじめのうちこそ、にこやかに社交的笑みをたたえて、うなずいていたが、私の思弁が良識の限界を越えて暴走しはじめるや、表情をこわばらせ、やにわにバッグからメモ用紙を取り出して、「ノートをとりながら」の会食となった。
私もながく教師をしているが、酔言をノートをとって頂いたのははじめてのことである。
いろいろと核心にふれたご質問を頂いたので、晶文社から近刊の『映画の構造分析』の原稿をデジタル情報でお送りすることを約束する。
私のおとぼけ映画解釈を学術論文に引用してくださる方がおられるとは、まことにうれしい限りである、

ジャックで二次会。中橋さんはまだ本務校がない若き哲学徒なのであるが、彼を囲んで「教員公募に落ち続けること」が私たちにどのようなトラウマをもたらすかについてのシビアな話題で盛り上がる。
自慢じゃないけど、私は助手時代に、あらゆる教員公募に8年間フルエントリーして、その全部に落ちた。
30戦30敗。
荒野の大学も、深山幽谷の大学も、一流大学も偏差値測定不能の四流大学も、畜産大学も工科大学も女子短大も、国立も府立も県立も私立も、すべての大学は私の採用を拒んだ。
こんにち私が学者でいられるのは、ほとんど「奇跡」なのである。

みなさんが帰られたあとジャックにて国分さんはじめ街レヴィ派のみなさんと、「グリルみやこ」の若旦那マーボーさんの「フランス・レストラン無頼渡世」物語を拝聴。
宮本常一の『忘れられた日本人』の「土佐源氏」のような、そのまま「聞き書き」を本にしたいような抱腹絶倒のお話であった。
ジャックの人々というのはまことに一筋縄ではゆかない。