ティーダブを売り払う。
次の引越先にはバイクを置くだけのスペースがないというのがおもな理由であるが、それ以前に「ぼちぼちバイク人生の終わり」が来たということである。
TWは4年前に買って、走行距離は昨日見たら2626キロであった。
これは時速100キロで26時間走っただけの距離である。つまり、ふつうのツーリングなら四日で走破できる距離に達するのに四年かけたということだ。
二十五のときに免許を取ってから、ずっとバイクに乗っていた。
雨の日も風の日も台風の日も、近場でも遠くでも、ジーンズでもスーツでも、基本的に「移動」といえばバイクだった。
三十二のときに子どもがうまれたので、ホンダ・シティを買った。基本的には「家族用ヴィークル」であったから、自分ひとりで移動するときは(るんちゃんを保育園へ送り迎えするのも)依然としてバイクだった。
たぶん89年のクリスマスに(自分へのクリスマスプレゼントに)ローヴァー・ミニを買ったのがいけなかったのだ。
あれは完全に「私好み」の車であって、ぜんぜん「家族用ヴィークル」ではなかった。
まるでバイクに乗っているような気分にさせてくれる四輪車だった。
おまけに雨が降っても濡れないし、夏はクーラーも入るし、音楽だって聴ける。
これでは勝負にならない。
私はしだいに「四輪の人」となった。
でも、震災のときはGBが大活躍した。あのときはバイクの走行能力の高さに感動した。ほとんど半年間、カウボーイが馬に乗るように毎日GBに乗っていた。
震災のほとぼりのさめた97年にスバル・インプレッサWRXを買って、これが私のバイク人生にとって致命的となった。
WRXは四駆にターボでピレリのタイヤを履いていて、がるるがるる、ばごーんという音を立てて走るのである。
この車と比べると、GBクラブマンもTWももうあまり「ワイルド」な感じはしなかった。
かといって、レーサーレプリカやチョッパーはぜんぜん私の趣味ではない。
こうしてウチダは一日平均1・7キロしかバイクに乗らない男になっていったのである。
もうバイクを降りるべき時である。
ナカジマモータースのおっちゃんに、「とうとう原チャリですわ・・・」と自嘲的な笑いをうかべつつ、TWを下取りに出して、ブラックのヤマハvinoを発注した。(それでもなおも未練がましく、「2スト車の方が出足いいの?」などと聞きながら・・・原チャリに「出足」を求めて私は何をしようというのか?)
ヤマハDT125、ヤマハGX250、ホンダGL400、ヤマハXT250、ホンダGB250、ヤマハTW200・・・私のバイク人生は5対2で、ヤマハの勝ちで終わった。
RD50はバイク扱いなのに、vinoを数に入れないのは不公平だって?
私は両足を揃えて乗るような乗り物を「バイク」とは呼ばない。
あれは「原チャリ」という別ジャンルの乗り物なのである。(coopに大根買いに行くときなどにはたいそう便利だが)
しかし、「ワイルド」から「大根」へ、この執着するもののシフトは、私の中で何かが消えたことを暗示している。
こうしてウチダは新たな墓標を立てて、また一つ「青春」を葬ったのである。
さよならぼくのバイクたち。(涙)
(2003-02-10 02:00)