2月8日

2003-02-08 samedi

朝一で下川先生のところで能のお稽古。
23日の新年会に地謡がたくさんついているので、そのお稽古。
『神歌』!
内輪の会とはいえ、『翁』の地謡がつくということが能楽を嗜むものにとって、どれほど名誉なことであるか、余人には想像もできまい。だって、それは「ちりやたらりたらりら。たらりあがりららりとう」という日本伝来の呪祝のことばの「発声法」を相伝されたということなんだから。
それに『求塚』、『景清』、『望月』、『山姥』、『羽衣』。
『船弁慶』の独吟と、素謡『正尊』のツレ、そして自分の『船弁慶』の舞囃子があるから、新年会はほとんど休みなしである。
『船弁慶』の舞はだんだんと「ノリ」が分かってきた。
平知盛の死霊が取り憑くわけだから、能楽師も大変だ。
下川先生の話では、ある能楽師は60代で「老衰」で死んだそうである。(能を2000曲もやったので)。
生涯にシテをするのは1000曲が限界である、というのが下川先生の説である。
それ以上は身体がもたないという。
だろうと思う。だって、シテには死霊が憑依するんだから。(能というのは90%「そういう話」である)
ウチダ程度の素人でさえ、舞の稽古のさなかに、下川先生のあしらいが激しくなると軽いトランスに入ることがある。まして装束をつけ、面をつけ、地謡と囃子にあおられて能舞台を歩んでいれば、そりゃ「あっち」へ行くのは当たり前である。
それに「あっち」へ行けないような能楽師では見所に感動は与えられない。
多田先生は武道家は「トランスできる体質」でないと大成しないとおっしゃったことがある。
私も長期的に論文にのめりこんでいると「アカデミック・ハイ」になることがある。
鼻の奥が「つん」と焦げ臭くなって、「ターボ」がかかるのである。脳内の化学物質の組成に変化が起こって、瞬間的に「あ、すべてが分かった」という直感が訪れるのである。(もちろん瞬間的なことなので、そこで「分かった」ことを言語化する過程で、70%くらいの直感は消えてしまうが)

いいなあ能は、と思いながら、次は合気道。
石川先生からご紹介頂いた弁護士の方が見学に見える。
「どうですか」と感想をお聞きしたら、ぜひ入門したいというお答え。
ソムリエにシェフに医師に弁護士。学者はもとよりメインの会員であるからして、神戸女学院合気道会はしだいに異種格闘技状態になりつつある。
呼吸法、練功法に時間をかける。
多田先生が合気道はつきるところ呼吸法だとおっしゃっていることの意味が若い頃はぜんぜん分からなかった。
どうして技の稽古をしないで呼吸法ばっかりやるんだろうと、二十代のウチダは不満であった。
50を過ぎてようやく分かってきた。27年稽古してやっとおぼろげに分かってきた。
相手の身体を極めたり、固めたり、投げたり、突いたり、斬ったりするのは、「そういうこともできる」ということなのである。
「そういうこと」を標準的にしておくと、どれくらい気が練れたか、どれくらい発勁ができるかということを自分でチェックできるから、その指標として視認できるから、相手を投げ、極め、崩すのである。
呼吸法、練功法、推手、シラットなど、いろいろやってみる。
ほんとうに面白い。
能の謡の発声のときもヴァイブレーションを響かせて、身体と声を細かく割ってゆくということを考える。響きを意識して声を聴いていると、声の「肌理が立つ」というのがどういうことか分かる。
正しい謡とは、大きい声でもないし、綺麗な声でもない。
響く声、身体が共振するような声、聴いている人間が震え出すような声である。
美とは畢竟「肌理」のことである。
武もまた同じ。
なぜ私がレヴィナスを読み、合気道を稽古し、能楽を習っているのか、その理由がだんだん分かってきた。
それはみな同じものを目指しているのである。
すべては「コミュニケーション」の水準の出来事なのである。
「他者」という概念が人間的水準で意味を持つためには、「他者を聴く」ということが身体的にどういう経験かを知らなければならない。
私たちが稽古していることはすべて「他者から送られる響きを聴きとる」というただひとつのみぶりに集約されるのである。
それがどれほど困難であり、かつどれほど重要なことであるのか、私はようやく分かりつつあるような気がする。
長生きはするものである。

六甲のACTUSにカーテンを買いに行く。
なかなかゴージャスなインテリア屋さんである。システムキッチン一式500万円などというものを売っている。
世の中にはこういうものをキャベツを買うような感覚で買うひともいるのであろう。
「なるほどね、ここはそーゆーお客さんのためのお店なわけね」と、ややイラツキ気味にカーテン売場に向かう。
カーテン見本を見るが、ゼロの数がよく理解できない。
今度の新居は全部で5箇所に違うサイズのカーテンを新調しなければならないのであるが、「おお、これなんか、なかなかいいじゃないか」と手に取ったイタリア製のカーテン地の値札を見て計算してみると、40万円ほどかかる勘定である。
はらり、と手から落とす。
ややあって我に返って、メートル単価の安い見本コーナーへじりじりと移動。
既製品で窓一枚1万円という「納得のお値段」のものを見出す。
しかし、こんどの家の窓のサイズはかなりイレギュラーであり、店員さんに窓の寸法を見せるが既製品では合わないということ。オーダーカーテンになると値段がジャスト二倍になる。
200センチx100センチのカーテンが6000円なのに、200センチx101センチのカーテンは12000円。ああーわからないわからない(@高田渡)
すべてオーダーとなり、総計8万円。とりあえずは予算内である。
ついでにダイニングに敷くラグを買う。インド製のウールでこれが33000円。
今回の引越に際しては、書斎を一新することにした。すでに机と椅子を新調。これが18万円。飛行機のコックピットみたいな一度座ったら出られない椅子である。14日に納品される予定。

こんどの家は一番広く、一番日当たりがよく、一番使い勝手のよい空間を書斎に当てた、完全な「ビジネス・オリエンテッド・ハウス」である。
この書斎で、芦屋の空を眺めながら、ばりばりと「不良在庫」を処分してゆく予定である。
仕事から逃亡するための「娯楽の殿堂」コーナーは隣室の和室。
ここにはテレビ、ステレオ、小説、マンガ、DVD、CD、こたつなどを集中させ、村上春樹を読んだり、『秋刀魚の味』を見たり、志ん生を聴いたり、昼寝をしたり、ワインを呑んだりする。
残る北向き二室のうちの一室が寝室。一室は納戸。
だから「家」というよりは、「オフィス」に隣接して「昼間用休憩室」と「夜間用休憩室」が付け足してあるようなコンセプトである。
これほど「自分勝手な」空間設計をした家に住むのは25歳以来のことである。(そのときは、「オフィス」と「娯楽の殿堂」と「寝室」あわせて6畳一間であったが、それなりに快適だった)
ふつう、好きな間取りで家を設計すると、ほとんどのひとは一家団欒の場、娯楽の殿堂を家の中心に据えようとする。
しかし、いまの私には「一家団欒の場」はそこに一人しかいないことの空虚さばかりが感じられる。御影の家は、るんちゃんと二人暮らしを想定して間取りしたので、「一人しかいない居間」は広すぎてかえって居心地が悪い。
だから、一人でいても充足できる空間、むしろ一人でいないと機能しない空間であるところの書斎(厳密にはパソコン)を家の中心にしようと思い立ったのである。
今度の家は私にとって一種の「コクーン」(繭)である。
そこにこもって母胎回帰する予定なのであるが、なぜかこの羊水漂流的アルタード・ステイツはインターネットで世界と繋がっている。