2月6日

2003-02-06 jeudi

あまりに忙しくて、いろいろなことを忘れている。
まず緊急業務連絡。

ウチダは2月17日に引越します。神戸市灘区土山町から芦屋市業平町へ。

引越作業は午前9時くらいから午後3時くらいまでの予定。隣町への引越ですし、クロネコヤマトの『らくらくパック』ですからあまり仕事はありませんが、新居の設営や買い出しなどに多少の人手が欲しいところなので、当日お手すきのゼミ生、合気道部員、知人友人のうちで『手伝ってもいいよん』という篤志の方がおられましたら、ご一報下さい。
お手伝い頂きました方には引越終了後、新居にて粗餐進呈。(粗餐のみ参加希望という方も可)。
前回の芦屋から神戸への引越の際は、引越前の掃除の段階で、ベランダで私とヤベくんとクーが笑いすぎていきなり隣家からクレームを頂戴しましたけど・・・。こんどは笑わずにやりましょうね
と、これでOK。

大学に行って、たまった事務関係仕事をばたばたこなしていたら、ドアをほとほととノックする音が聞こえて、はいどうぞ、とご返事をしたら、ドアを押し開けて登場したのは、なんと「東矢口のO井さん」。
先般そのご母堂から「元気にしてますか?」という励ましのお手紙を頂いた当のお方である。
『「おじさん」的思考』所収「転向について」に「毛皮のコートを着た綺麗な青学の女の子」として登場された、その30年前のガールフレンドがいきなりのご登場である。
ややや、どうも。
神戸に所用で来られたので、大学まで足をのばされたのだそうである。
さすがに年相応のご貫禄になっておられたが、女子学生の頃の面影はそのままである。
澤田くん、伊藤くん、久保山くん、かっちゃん、植木くん、など旧知の人々の思い出話でしばし歓談。
O井さんは、別れた後も私のレヴィナス翻訳本をはじめ、拙著をお買い上げ頂き、「モトカレ」の行状を遠く微笑みつつ眺めておられたそうである。
私の自己史では、1973年頃というのは、学生運動から召還した時期で、未来のない自堕落な生活を送っていたような記憶しかないのだが、O井さんのご記憶では、私はけっこうまじめに読書などをしており、「おいら、いつかきっと学者になるぜ。そして娘を肩車してキャンパスに通うんだ」と将来の抱負などを遠い目をして語っていたそうである。
そうだったかなー。
るんちゃんの誕生までをも予見していたとすれば、私もなかなかの霊感少年である。
「私、毛皮のコートなんか持ってなかったのに、ウチダくんは私のことをそういうふうなイメージで見てたのね・・・」と記事の訂正を求められる。
そ、そうだったっけ。
まだお買いになっていないという『レヴィナスと愛の現象学』にネコマンガをさらさらとサインして献本、にこやかにお別れする。

「モトカノ」を見送ってから、ひさしぶりの合気道のお稽古。ほんとに久しぶりだ。
3週間ぶりくらいかなあ。
3月に結婚を控えたかなぴょんが来ている。かなぴょんとこんなふうに「当たり前のように」稽古ができるのもあと一月足らずだ。
学生たちは、いつもそこにいるような気がしているけれど、みんないずれキャンパスを去る日が来る。
蟹ツァーでわいわい騒いだ陽気なゼミ生たちも、四月からはみんな日本各地に散らばってしまう。
あのメンバーでもう一度大宴会ということはもう二度とできないかもしれない。
卒業式の季節なんだ。
しくしく。