忙しい一日。
灘区役所に行って住民票と納税証明を取り、郵便局でベルギーのカナ姫に並木屋で忘れた毛皮のマフラーを送り、不動産屋で賃貸契約を取り交わし、クロネコヤマトの営業マンが引越の見積もりにやってきて、そのあと「高杉」で大阪弁護士会の会報のインタビューを受ける。
なんで私が大阪弁護士会の会報のインタビューを受けるのであるのかは、みなさんの想像を絶しているであろうが、もちろん私自身にも理解が及ぶことではない。
別に司法試験のあり方や裁判制度についての私見を訊ねたいわけではなく、「どうしてレヴィナスを読み始めたんですか?」とか「合気道の稽古とフランス現代思想研究の共通点は?」「ウェブ日記で『検事になりたかった』と書いてましたけど、その理由は?」とかいう、ごくまっとうなご質問である。
どうやらインタビュアーのO久保弁護士の「個人的な関心」がそういうところにおありだったようである。
二時間余にわたる話で、「社会正義」の実現のためには、「絶対的正義」というものを想定しない方がよいという点でO久保弁護士と深く意見の一致を見る。
最後に鞄から『レヴィナスと愛の現象学』を取り出され、「あの・・・サインを」とおっしゃったので、すらすらとネコマンガを描いて差し上げる。
インタビューのあとにせっかく弁護士がいらしたのだからというので、去年の秋の自己破産しちゃった知人への債権は回収できるでしょうかという質問をしてみる。
「ダメでしょう」というお答えであった。
貸した翌日に自己破産というなら詐欺で訴えられる可能性はありますが、二ヶ月後ならまず免責でしょう。なにしろ自己破産者はいま裁判所の前に長蛇の列をなしているんですから。
聞いてびっくり。自己破産というのは今やものすごい数なのだそうである。
自己破産では、「返す金がないのだから、返さなくてよい」というロジックになるらしい。貸した方は「お気の毒さま」である。
私も新車を買おうと思って貯めてたお金を、なまじ仏心を出したせいで、ドブに棄ててしまった。これからはもう誰にも金は貸さんぞ、と心に誓う。
という私のような人間が増えてくると、お金に困った人は知人友人からはもうお金が借りられなくなる。したがって、サラ金から借りることになる。そして高利の利息が払いきれずにやがて自己破産する。業者から借りた金は自己破産しちゃえば、もう返さなくてよいので、とりあえず借金はチャラになる。
自己破産したからといって、さしたるペナルティが課されるわけではなく、市民生活には何の支障もない。
「なんだ、破産したもん勝ちじゃないか」
というのでどんどん自己破産する人が増えているのである。
いいのかなあ、と思うけれど、O久保弁護士によると、ひとつだけ大問題がある。
自己破産で「味をしめた」人の多くが、破産したあとも懲りずに業者から金を借り始めるのである。
もちろんふつうの業者はもう貸してくれない。貸してくれるのは非合法の高利貸しだけである。でも、ひとからお金を借りて急場をしのぐということがもともと癖になっている上に、その借金が自己破産で免責になったという「原体験」と結びついてしまうので、強迫反復的に「つい借りてしまう」のである。
ところが自己破産は一回しかできない。破産したあとに作った借金は免責にならない。だからどんなことをしても返さないといけないのである。
そこで返せなくなった人たちが次は「夜逃げ」をする。
これも今ではすごい数らしい。
そういえば、昨日の賃貸契約の条項の中には「一月以上借り主が部屋に不在の場合は貸し主が処分する」という一項があった。こんなの四年前の契約にはなかった。
不動産屋のお兄ちゃんに「どうして?」と訊いたら、多いんだそうである。家財道具残したまま、いきなり消えちゃう人が。
いきなり消える人とか、家賃踏み倒す人とか、他人に転貸している人とか、そういうわけの分からない借り主がものすごい勢いで急増しているので、貸し主の権利保護のために、どんどん契約書の条項が増えてきて、もう保険の約款みたいなものになってしまったのである。
そういう困った人たちのつくった赤字補填のために、ほかの借り主は何%か高い家賃を払わされているわけである。
いやな時代だ。
借りたものは返す。ひとのものは盗らない。
そういう基本的な倫理が通らない時代なのである。
(2003-01-30 00:00)