1月25日

2003-01-25 samedi

引越先が決まる。
第一候補だった東芦屋町のマンション(かなぴょんの隣組)は行ってみたら、一階で、庭があるのはいいけれど、南側が二階建てのマンションの壁。午後1時なのに、家の中は真っ暗である。
間取りは広いし、設備もゴージャスなのだが、いかんせん、御影の今の家の大阪湾一望の気分のよい眺望に比べると、まるで土牢に入れられているような閉塞感がする。
夜家に帰って寝るだけの生活なら構わないけれど、こちらは一年のほとんどを書斎で過ごす人間である。書斎の窓から何が見えるかというのは死活的に重要である。
眺望が隣家の壁だけというのはあまりに哀しい。これではお気楽な文章は書けない。
パス。
二軒目は業平町の4階。
芦屋川の東岸、JRのすぐ南側。列車の音が一日中するという難点があるので、あまり興味がなかったのだが、とりあえず見に行く。
行ってみると、南と東にバルコニーがあって、ひろびろと芦屋市東南部への眺望が開けている。
リビングを書斎にすれば、これはまた実にせいせいとした仕事部屋になりそうだ。
JR芦屋駅から3分。阪急芦屋川から5分。
多少列車の音はうるさいけれど、地の利と眺望をさっぴけば、これはお得である。
合気道の稽古をしている青少年センターまで歩いて10分。
お仕事のあと、下駄をつっかけてJRの駅まで歩けば、北野のジャックメイヨールまでナイトキャップを呑みに行けるし、東京と行き来するにも、新大阪まで30分。
すぐ近くにTSUTAYAもイカリスーパーも「もっこす」もある。
母親からのたってのリクエストである「歩いてデパートへ」も五分のところに大丸があるからOK。
よし、これに決めた。
家賃はいまより少し高くなるけれど、タクシー代がこれからは要らないからトータルではあまり変わらない。
来月から4年ぶりに芦屋市民にもどることになる。
芦屋は便利な街だ。
市役所と警察署と税務署が並んで建ってるんだから。
こういうコンパクト・サイズの小都市というのは、ほんとうに住み易い。
なんだかわくわくしてきた。
引越って、ほんとうに愉しいんだけどなあ。どうしてみんな家を買いたがるんだろう。
もちろん、この業平町のマンションにも何年住むか分からない。
飽きたらそのうち引っ越す。
御影から出るときに、家財の三分の一くらいは棄ててゆくつもりだから、今度の家はいまよりもっと「スカスカ」になるだろう。
次に引っ越すときは、もっと「スカスカ」になるはず。
とりあえず、これからあとは、ものを棄てまくって、「60歳のときに20歳のときと同じくらいの家財」が目標である。
20歳のとき、野沢の学生寮からお茶の水のかっちゃんの家に居候しに引っ越したとき、荷物はフジタくんのカローラのトランクと後部シートだけで運べた。
でも、ものがなくて不自由をしたという記憶がない。
あれくらい身軽な人生にぜひ戻りたい。

家が決まったので、すっかり気分がよくなり、御影に戻ってばりばりと仕事をする。
自己評価委員会の報告書の手直しと、教育COEについてのレポート。
昨日の教授会のあいだに文部科学省の平成14年度「21世紀COEプログラム」(いわゆるトップ30校ね)の人文科学系採択20校の申請書を読んだ。
ふーん。
文部科学省は「こういうの」がお好みなわけね。
こういう官僚的作文はウチダのもっとも得意とするところである。もし文部科学省提出書類の「代書屋」という商売があるなら、私はそれで食って行けそうである。
たぶん思考回路を官僚と同調させることに何の苦痛も感じないからであろう。
考えてみたら、私は幼少のころ、警察官僚か検事になりたかったのである。
しかし、そういう権力的な立場に身を置くと、自分がどれくらい「いやな奴に」なるかだいたい想像ができたので、世間にこれ以上ご迷惑をかけないために、とりあえず人畜無害な商売を選んだのである。
もし私が警察官僚になっていたら・・・おおお、考えるだけでも恐ろしい。
私が三文大学教師で人生を終えるのは、日本の良民にとってはある種の災厄を経験せずに済んだということなのであるが、それを知っているのは神と私だけなのである。