1月15日

2003-01-15 mercredi

朝刊をひろげると朝日新聞の「e-メール時評」に自分の原稿が出ている。
読んでみると、ことばが一つ送った原稿と入れ替わっている。
昨日の夕方京都にいるときに携帯に電話が入って、資料的な裏付けがとれない箇所が一つあるので、そこに「・・・と記憶している」ということばを入れてよいかという問い合わせがあった。
間違っていても、それは署名者である私の責任であって、朝日新聞社には関係ないでしょうと申し上げたが、「そうはいかないのです」ということで、OKした。
しかし、新聞を拡げてみたら、訂正申し入れのあった箇所は原文のままで、他の箇所が一語入れ替えてあった。
オリジナルはこんな文章である。

メディアは歴史上はじめての「大学淘汰」の始まりを大きく伝えている。
どの銀行が潰れるかというのは預金者にとっては切実な問題だけれど、どの大学が潰れるかというのは、ほとんどの読者にとっては「他人ごと」である。
しかし、「市場が大学を淘汰する時代が来た」と囃したてるのはちょっと待って欲しい。
「市場」とは大学にとって何のことなのか?
大学にはとりあえず二種類の「市場」がある。
受験生と就職先である。
受験生が集まらなければ大学は潰れる。これは確かだ。
でも、企業が求めるスキルや知識を提供できない大学は潰れろというのは、いささか気が早すぎるのではないか。
少し前に財界と文部省は「英語とコンピュータが使える即戦力」を大学に要求した。(そして教養課程というものがなくなった)。
それが最近は「論理的思考力」や「哲学」を大学に要求し始めた。
たしか先頃までは「そんなものは要らない」と言っておられたのではなかっただろうか。
大学の社会的機能の一つはその時代の支配的な価値観とずれていることだと私は思う。「遅れている」でも「進みすぎている」でも、とにかくその「ずれ」のうちに社会を活性化し、豊かにする可能性はひそんでいると私は思う。
「市場にすぐ反応して、注文通りの人材を提供する大学」なんか、私が受験生なら御免こうむりたいけれど。

というような、私がいつも主張しているような種類のことである。
朝日新聞からの訂正要求は「少し前に財界と文部省は『英語とコンピュータが使える即戦力』を大学に要求した。(そして教養課程というものがなくなった)」に「かに記憶している」を付け加えたいというものであった。
しかし、そこは訂正されておらず、代わりに「哲学」が「創造力」に書き換えられていた。
「財界や文部省が大学教育に創造力は要らないと主張していた」というのは事実に反する。
だって、「創造力」こそは財界や文部省が大好きな無意味無害なことばだからだ。
この箇所を読んだ読者の多くは違和感を覚えただろう。「そうかな・・・」と感じたはずである。
まあ、私はそれほど厳密なことばづかいをする人間ではないから、「哲学」が「創造力」でも、私の言いたいことはどなたにもだいたいは伝わるはずである。(現に、たいへん同感しました、というメールが何通か届いた)
しかし、署名原稿の文言を本人の許諾なしに訂正するということは結果オーライではなく、原理的な問題である。
ちょっとむっとして、朝日の担当者にメールを送った。

本日掲載のe-メール時評中、原稿に「哲学」とあった部分が「創造力」に書き換えられておりました。
哲学と創造力は別の意味のことばであり、前後の文脈からして「創造力」では、多くの読者は「そんなはずはないだろう」というひっかかりを感じただろうと思います。
昨日の電話では、前段の「英語とコンピュータが使える即戦力」についての問い合わせで、そのようなことを明言した文書資料はあるのか、ということでしたので、出先からでしたから「分からない」とお答えして、その箇所に「かに記憶している」ということばを付け加えることに同意しました。
しかし、それ以外の箇所の変更については何もお話しを聞いておりません。
別にどうでもいいようなコラムですし、「哲学」が「創造力」であっても、「たいして意味は変わらないだろう」という判断をされたのだろうと思いますが、原理的な問題として、署名原稿において、著者の許諾なしに、書いていることばを消して、書いていないことばを書き入れる権利は新聞社には属さないと私は考えております。
著者の許諾なしに文言を入れ替えたことについて、どういう判断に基づいて、またどういう権利に基づいてそういうことをされたのか、納得の行く説明をお願い致します。

内田 樹

そのあと担当者からお詫びのメールと電話があった。
ウチダは怒りが持続しない人間なので、「も、いっすよ」で一件落着した。
でも改行とか送り仮名とか句読点の訂正ならともかく、署名原稿の文言を著者の同意なしに「差し替える」というのは、どんな場合でもルール違反だろうと思う。

私がバカなことを書いて「バカだ、こいつは」と思われるのは私の責任である。私はその責めを粛々と受ける。
バカなことを書く人間に紙面を提供したのはメディアの責任である。メディアはその責めを粛々と受ける他ない。
バカなことを書いた著者に「こんなこと書くとバカだと思われますよ」と耳打ちするのは、メディアの側の好意である。好意には私は甘える主義である。
しかし「こんなことを書くとバカだと思われるから、直しておいてやろう」というのはメディアの仕事ではない。
それは好意ではなく、検閲である。

私はこの一年ほどいくつかのメディアに寄稿したが、原稿の書き換えを要求されたのも、無断で文言を書き換えられたのも、日本を代表する民主的なメディアである朝日新聞だけである。
これは別に怒って書いているわけではない。
そういう事実があるということをみなさまにご報告しているだけである。

神戸女学院の中高部の礼拝でお話することになった。
大学の教員が中高部の礼拝に呼ばれるというのはわりと珍しいことである。
高校の生徒たちから「大学のウチダ先生の話を聞きたい」というリクエストがあったそうである。
朝早い(8時半から)というのが難儀であるが、中高生にお話をするというのは、私にとってはたいへんうれしい機会である。
「よその大学受けないで、うちに来てね」という大学パブリシティ仕事もあるし、「合気道部は中高の人にも公開しているから、来てね」という私的な宣伝もあるが、日本の未来を担う若い人たちに言いたいことはやまのようにある。
しかし、時間は10分。
「ラジオ深夜便」で二日前に甲野先生のした「身体を割る」話と、光岡先生に教えてもらった「站椿功」の話をまぜこぜにして、「大人になるというのは、身体を割るということである」という思いつき話をする。
あまりにへんてこな話なので、中高生600人は茫然自失していたようであった。
まあ、たまには茫然自失するのもよい経験だよ。
礼拝のあと、中高部長の春名先生としばし歓談。そこに高校生がどかどかと乱入してきって、武道と宗教の関係について問い質される。
人間の身体はミクロコスモスであり、そこに響く音に心耳を傾けるというのは、造物主の声に耳を傾けるということと同義であると語って納得していただく。
日頃、多田先生から「宇宙」や「いのち」と武道の関係については、しっかり学んでいるので、こういうときにも自信をもって「それはね」と語ることができるのはまことに師を持っていることのありがたさである。
それにしても、こういう本質的な問いをストレートに聞きに来る子たちが始業前のわずかな時間に臆せず中高部長室のドアをノックしてやってくるという気合いの良さは私の深く愛するところである。
春名先生もじつに闊達にして磊落な教育者でありました。(私を紹介するときに「オヤジ学の専門家」と言われたのはちょっとびっくりしたけれど)

午後は京都造形芸術大学の「創造する伝統」というシンポジウム形式の授業の講師に招かれて、雪の京都へ。
呼んでくれたのは小林昌廣先生。
小林先生が司会で、パネリストは芸大の芳賀徹学長(30年前に駒場でフランス語を習ってCをつけられた)と天野一夫助教授。
そしてゲストがダンスセラピーの岩下徹さんと私である。
岩下さんは前からぜひ一度お会いしてお話しをしたかった方である。

その昔、湖南病院で岩下さんが精神病の患者さんたちをお相手にしてダンスセラピーをやっているという話をその病院の方たちから伺ったことがある。(湖南病院の木田先生は私が鬱病で苦しんでいたときの主治医である。もともとは村上直之先生のご紹介で駆け込んだのであるが、「不眠日記」の小川さんはじめ木田先生のお世話になった学生教員は少なくない)
そのときにひとりの看護婦さんから「合気道セラピーというのはできませんか?」と訊ねられて、「ああ、そういうのってできそうだな」と思った。
いつか湖南病院に来て岩下さんのワークショップを見て下さいと誘われて、一度行きたいなと思いながら、そのまま月日が経ってしまった。
二年前にゼミの森章恵さんが岩下さんのセラピーをテーマに卒論を書いたので、どういうものであるかについてはそれなりに頭では理解していたし、かなぴょんもよく岩下さんのワークショップに参加していたので、おそらく合気道とは「なじみ」のよい身体技法なのだろうということは分かっていた。
それが今回、まぢかに拝見して、おまけにお話できるのである。
わくわく。

岩下さんは予想通りの方であった。
澄んだ青みがかった目をしていて、涼しい笑顔で、優しい声の、宗教的といっていいような透明性を感じさせる方である。
芸大の誇る春秋座の舞台で、まずその岩下さんの即興のダンスを拝見し、それからトークが始まった。
岩下さんの発するオーラとその動きの素晴らしさに私もすっかり高揚して、ダンスと武道の身体観と技法のつながりについて熱く語ってしまった。
12日は甲野先生と、そして15日は岩下さん。三日あいだを置いて「その道」の達人たちとお話をする機会を得たことになる。
身体の可能性を探求して、そこから汲み上げてきた知見を語る人のことばというのは、どうしてこんなに重く、厚みがあり、温かいのだろう。
小林先生は来年度からうちで「現代表象論」という講義を持つことになっている。
その講義に岩下さんを招いて、ダンスを見てから、そのお話を伺うという企画をさっそく小林さんと立てる。
女学院のみなさん、お楽しみに。

思えば、状況劇場の『続・ジョン・シルバー』を見たのは私が高校二年生のときであった。
そのとき私の前の席に長髪を輪ゴムで止めたドテラ姿のおっさんがいた。
公演が終わったあと、唐十郎が走り寄ってきて「土方先生、いかがでした?」とまるで成績表をまつ小学生のような、期待と不安の表情でそのおっさんをみつめたので、「おお、これが噂に高いヒジカタタツミか」と思って、顔をのぞきこんだついでに唐十郎のズボンにコーラをこぼしてしまった。(唐さん、ごめんね)
あれから36年。
岩下さんはその土方巽の暗黒舞踏の流れの中で着々と新しい可能性を切り開いている人なのである。
新宿ピットインから始まった暗黒舞踏とのご縁が36年後に雪の京都でひとつの環につながったような気がした。