1月9日

2003-01-09 jeudi

昨日は下川先生のお稽古の「謡始め」。
『正尊』の「姉和」と『船弁慶』の独吟のところをがしがしと謡う。
社中のベテランたちは『翁』で謡始めである。
いいなあ。
私もはやく爺になって『翁』の「とうとうたらり、たらりら。たらりあがりららりとう」という意味不明の詞章をわけありげに謡えるような身分になりたい。(うちの会では還暦を超えないと『翁』は謡わせていただけない決まりなのである)

今日はは合気道の稽古始め。
三週間もさぼっていたので、身体はがしがしに固い。
しかし、そこはそれ、これだけ劫を経ると、恐ろしいことに何も稽古していなくても、ちゃんと前回より術技が向上しているのである。
これはほんとうに不思議である。
稽古しなくても、ただ生きているだけで術技が向上するということが武道の場合はあるのである。
若い人と比べるとまことに不公平なことではあるが、老人はただ生きているだけで、どんなこともどんどんうまくなっちゃうのである。
「あ、これは『あのこと』か」という「あのこと」のストックが老人は多い。これは当然である。
しかるに、この「あ、あれね」というのはちょうど「神経衰弱」の後半の戦いである時点を超えると、裏返しの札が全部分かってしまうのと同じように、「あ、あれはこれね。で、これはあれなのね」というふうにどんどん読めてしまうということが起きるのである。(『天才バカボン』の「たりらりらーん」と『神歌』の「とうとうたらり」の間にはアナグラムがあるということが分かってしまう、ということなどはその好個の適例である)

老人になってよいことの一つは、身体のあちこちがぼろぼろに痛んできても、「もう年だかんね」で全部済まされてしまうことである。
若いときに膝が痛いだの腰が痛いだの歯茎から血が出るだの血圧が高いだの毛が抜けるだの物忘れが激しいだのということがあると、これはすべて本人の責任である。
しかるに、爺になると、これらすべての失調は「年のせい」ということで、個人責任はまるっと免罪されてしまうのである。
あらゆる不都合をすべて「だって、年なんだもん」で済ませてしまえるというのは、本人の精神衛生上すこぶるよろしい。とにかく「自責の念」というものが(もともと私にはないが)発生する余地というものがないのである。
思えば、私はつねに「そういう奴」であった。
若いときは「若いんだから、好きなことやらせてくれよ」と言い募って、いさめる人々を黙らせ、今は「あとはもう死ぬだけなんだから、好きなことやらせてくれよ」と言い張って、いさめる人々を黙らせているのである。
結局、「好きなこと」以外のことは一度もやらずにまんまと往生できそうである。
もちろんこういう美味しい人生を送るにはそれなりの戦術というものがある。
けっこういい年になっても「まだ若いんだから」と嘘をつき、けっこう若いうちから「げほげほ、年寄りに何をなさるじゃ」と嘘をつくというふうに、つねに年齢詐称をする人間だけがこの特権を享受できるのである。
むずかしいのは、この「若者モード」から「爺モード」への切り替えをどのあたりにセットするかという見極めである。
私の経験で言うと、やはり42歳の「厄年」を以て「青年」から「爺」への転轍点とする、というのがなかなかよろしいようである。
42歳まで「若者ぶる」のはけっこうしんどいし、42歳で「爺のふりをする」のもけっこう演技力が要る。しかし、そこは踏ん張っていただきたいものである。
なにしろ日本社会ではほんらい「男盛り」と言われる「壮年」期が「中年のおっさん」と蔑まれる、すごくつまらない社会的ポジションを割り当てられているのである。
しかるに、わが国の男性諸君はうっかりすると30歳くらいから70歳くらいまで延々とこの「中年のおっさん」期というものを過ごさねばならぬ。
これは実に哀しい生き方と言わねばならぬ。
私はこのまるで面白くない「中年のおっさん」期というものを「まるっとパスする」という身勝手なことを考えたのであるが、これはやってみると分かるが、なかなかけっこうなものである。
爺というのは「還暦」ということばに示されるように、「幼児化しても許される」というような余禄もある。
「わしはのう」と説教かました舌の根も乾かぬうちに「ぼくちん、わかんない」というような退行ぶりを示しても、誰にも咎められないのである。
あるときは人生の辛酸を舐め尽くした枯淡の人を演じ、次の瞬間には「わーん、猫たんがいないと、やだー」とボケをかますというようなことだって爺だけには許されるのである。
考えてみたら、私が人生においてやりたかったことは「偉そうにする」ということと「でれでれする」ということの二点だけなのであった。
爺というのは、この二つを同時的に遂行できるたいへんにカンファタブルなポジションなのである。
若いみなさんには、ぜひ「爺」になるタイミングを間違えないようにということを申し上げておきたい。
婆はどうか、というお尋ねがあるが、「女はいつから婆になるか」というような種類の問題についてうかつな発言をすることは私のただでさえ狭い世間をさらに狭くするばかりなので、これに関してはコメントを控えるのである。