1月4日

2003-01-04 samedi

今日は鈴木晶先生とおじさん二人のバレエ鑑賞。
だしものはレニングラード国立バレエ団の『白鳥の湖』。
有楽町の都庁跡地に出来た国際フォーラムというバブルの悪夢がそのまま表現主義的オブジェと化したような不気味な建物にはじめて入る。
鈴木先生のはなしでは大赤字だそうである。さもありなん。
新宿の新都庁も相当に不気味だが、これも負けずに気持ちが悪い。
どんな人間がこんな家に住む気になるだろう。私は頼まれてもいやである。人間が住みたくないような建物を造ってどうするのか。

年末に『くるみ割り人形』、年始に『白鳥』を見るというのが鈴木先生の冬休みのすごしかただそうである。
ウチダの『翁』同様、こういう「・・・じゃないと、ワシの正月は始まらん」的こだわりはものごとの節目節目をぴきっと決めるたいへんたいせつな心がけなのである。若い人は心しておくようにね。

その先生の雅趣のお裾分けで、ありがたく1階22列43番という舞台正面の「招待者席」に鎮座する。
日本を代表するバレエ評論家の解説を聴きながら、世界的プリマの白鳥を拝見するわけである。大瀧詠一の解説を聴きながらキャロル・キングを聴くようなものである。(たとえが古いが)
これをして贅沢をいわずに何を贅沢と言いましょう。
『白鳥』を拝見するのは二度目。前回はキーロフ。
キーロフもよかったけれど、イリーナ・ペリンのオデット姫もすばらしかった。
ぼおっとしながら鈴木先生のご案内で新橋の「とらふぐ亭」へ。
てっさ、唐揚げ、焼きフグをばりばり食べつつ、ひれ酒をぐいぐい頂く。
ああ、またデブになっちゃうと反省しながら、お箸が止まらない。
鈴木先生と杯を重ねるにつけ、ともに悲憤慷慨、怒髪衝天、慨世の言のとどまるところを知らない。
1970年あたりを境にして日本がどっと悪くなった、という点について二人の意見は一致する。

その理由については、前にも少し書いたが、1970年代というのは日本社会の中枢から明治生まれのひとびとが退場しはじめた頃であることが大きく影響していると私は考えている。
明治45年(1912)生まれの私の父は敗戦の年33歳。まだ白面の青年である。
だから戦後の復興を担った「おじさん」たちというのは、父よりさらに年長の明治20年代、30年代生まれの世代だということになる。
『坊ちゃん』や『三四郎』や『虞美人草』の宗近君たちが物語のとおり明治40年ごろに二十歳そこそこだとすると、敗戦の年にはまだ50歳代である。
漱石が大正はじめに49歳で死んだせいで、私たちはつい漱石の描いた青年たちもまた戦前にとうに往生していると思い込んでいるが、実はこの「明治の青年たち」こそが戦後の1940-50年代の日本復興の牽引役だったのである。
だいいち漱石だって、長生きしていれば敗戦の年には76歳。いまの瀬戸内寂聴や佐藤愛子より若いのである。
戦後民主主義という思想と政体は、明治20-30年代のひとびと、「坊っちゃん」と三四郎の世代が敗戦の焦土の上に、ほとんどゼロから立ち上げたものなのである。
私は戦後民主主義の中で育った第一世代である。私は子ども時代の日本のたたずまいが好きだったけれど、最近になってその理由が少しだけ分かってきた。
少なくとも理由の一つは、私の子どものころの「おじさんたち」が「坊っちゃん」の世代的エートスを濃厚に背負った明治の男だったことである。

お正月に小津安二郎の『秋刀魚の味』をTV版リメイクというのをやっていた。
シナリオは時代設定を変えた以外はオリジナル通り。しかし、まるで面白くない。
それも当たり前である。
役者たちの顔が違うのである。
宇津井健、米倉斉加年、井川比佐志が笠智衆、中村伸郎、北竜二の「悪いおじさん」に扮するのであるが、現代の俳優には、あの「むかしシティボーイの不良旧制高校生」特有のとんがった批評性とソフィスティケーションがごっそり欠落しているのである。
菅原通斉の役を演じることのできる俳優がキャスティングできなかったというのが象徴的だ。
いま50―60代の俳優の誰にあの役ができるだろう。
ああいう種類の分厚い伝統文化と諧謔と都会性が絶妙にミックスされたキャラクターはもう私たちの時代の俳優の中には探してもいない。
奇妙な話だが、いまの俳優の方が40年前の俳優たちよりずっと「田舎臭く」「古くさく」「知的でない」のだ。
そして致命的なのは、「艦長」の代わりに「支店長」で、『軍艦マーチ』の代わりに『万博音頭』というシナリオの改変である。
このシナリオを書いたライターも企画を通したプロデューサーも小津に対して恥を感じないのだろうか。
笠智衆が低くつぶやく「守るも攻むるもくろがねの」の代わりに「こんにちは、こんにちは世界の国から」だよ。
三波春夫を歌いながら来し方を回顧して涙ぐむサラリーマンなんて、この世にいるのだろうか。(三橋美智也の『達者でな』を歌いながら涙する、というのならまだ分かるけど)
1962年から40年経って、日本はそのころよりずっと「田舎くさく、貧乏くさく、古くさく、頭の悪い」国になったということがこのTVを見て身にしみた。
ああ、情けない。