12月9日

2002-12-09 lundi

まだ熱が抜けないけれど、とにかく起き出して、今日締め切りの朝日新聞の e-メール時評の原稿をこりこり書いてそのまま送稿。
世界思想社から「生と永遠」というお題でエッセイ10枚を頼まれていたので、いきおいがついたついでに、『敗戦後論』と『陰陽師』と『ヨーロッパの学問の危機と先験的現象学』と『呪の思想』と『精神分析の四基本概念』から少しずつ引用して、「お弔いのたいせつさについて」の原稿をまとめる。
「弔うこと」がこのところの私の思考の中心的な主題であるというのは、これまで繰り返し書いてきたとおりである。

「弔うこと」とは「鎮めること」であり、「呪で縛る」ことであり、「名づけること」であり、「かっこに入れる」ことであり、「シニフィアンを中心に象徴秩序を編成すること」である。

というふうに乱暴な等号でつないでしまうと、岡野玲子からフッサールまで、ラカンから村上春樹まで、白川静から井上雄彦まであら不思議、みんな繋がってしまうのである。
なあんだ、そういうことだったのか、と誰もが腑に落ちるウチダの「葬制論」、『墓石に、と彼女は言う』(とーぜん仮題)はちくま新書からそのうちに刊行予定なのだ。