12月4日

2002-12-04 mercredi

オフなので一日原稿書き。
7日の福岡での講演会『レヴィナスとラカン』の草稿が毎度のことながらどんどん長くなってゆく。とても一回の講演で話し切れる内容ではないが、こうなったらもう仕方がないので、気にせず書く。
すでに150枚。あと100枚書いたら、本一冊分。
文春の嶋津さんが、「よろしければ引き取ります」と言ってくれているので、そのまま新書の原稿にしていただけるとありがたい。(リストから仕事が一つ減るし)

新書の原稿を書くというのは、ものごとを根底からつかむためにはよい経験である。
対象が一般読者で、レヴィナスにもラカンにもほとんど予備知識がない、ということになると、基本的な概念の解説から始めることが必要になる。
ところが、この「基本的な概念の解説」というものができると、実は話は終わったようなものなのである。
レヴィナスの場合でもラカンの場合でも、それぞれの「他者」という概念をきちんとふつうの人にも分かるように説明できれば、(そして、どうして二人とも「同じことば」をここで使っているのかを説明できれば)、この二人の思想家のいちばん根本的な考え方は語れたことになる。
それと同時に、どうして20世紀のフランスにおいて、「他者」の概念が要請されたのか、その思想史的必然性も語れることになる。
レヴィナスとラカンは「ほとんど同じこと」を書いている。
というようなことを言うとびっくりする人が多いだろうが、考えて見れば当然である。
レヴィナスやラカンやフーコーやレヴィ=ストロースやバルトやブランショのような「死ぬほど頭のいい人」たちが「人間の成り立ち方」について語った叡智のことばがそれほど違っているはずがない。
どのような分野においても、道を究めた人が言うことは、帰する所一つである。
これは半世紀生きてきた私の経験的確信である。
レヴィナスとラカンの最終的な違いがあるとすれば、それはおそらくラカンが「師を持たなかった」ということだけだろう。

レヴィナスにおける「知っていると想定されている主体」は師である。
ラカンにおける「知っていると想定されている主体」は分析家である。

でも、師と分析家はまるで違う。
たしかに転移はどちらにも生じるが、分析家は「金を受け取って治療する」人間であり、症候が寛解したら、用のない人間である。いくらラカン派の分析が長期にわたるといっても、生涯にわたるということはありえない。
師弟関係はそのような個人的な利害得失を超えている。
レヴィナスは自身を古代から続くタルムードの対話的師弟関係のうちに位置づけている。だからシュシャーニ師からレヴィナスが受け継いだ思考法をその弟子たち(フィンケルクロート、ウアクナン、マルカ、レヴィ)らは粛々と継承して、また次の世代に伝えて行くことになる。
弟子が師に仕える仕方は、レヴィナス自身がシュシャーニ師に対して演じてみせてくれたのであるから、弟子たちは師の口ぶりをそのまま真似て、「わが師の叡智は無尽蔵であった」と語ればよい。
そして、師の叡智が無尽蔵である以上、弟子たちのレヴィナス理解がそれぞればらばらであっても、そこには何の不都合もない。というより、弟子によって理解の仕方がばらばらであることこそが師の多面性と深みの証なのである。
だから、レヴィナス派の人々は「どちらがよりよくレヴィナスを理解しているか」というような論争には興味を示さない。
それはラカンの死後の(あるいは死の直前の)、ラカン派の「王位継承」の騒々しさとは対称的である。
ラカンは彼の弟子たちの誰にも「師に仕える仕方」を教えなかった。「学統を継ぐ」というのがどういうマナーを要求するのかを教えなかった。だから、フランスのラカン派の人々はどんどん派閥化して、ずいぶん口汚くお互いを罵っている。
その点については、レヴィナスはラカンより成功した教育者であったと思う。

その他の点については、ほんとうにこの二人はずいぶん似ている。
そして、生前、あの狭いパリの思想界に身を置きながら、お互いの仕事にぜんぜん興味を示さず、たぶんお互いの著作をろくに読んでさえいないこの二人が、「ほとんど同じこと」を考えていたという事実に私はまことに驚きを感じるのである。