12月2日

2002-12-02 lundi

歯が痛い。
正確には歯茎である。右上の奥歯の歯茎と、中央下の歯茎が腫れている。
どうも歯茎の弱い体質で、ある程度以上きつめにブラッシングすると、てきめんに翌日、歯茎が腫れてくる。
歯茎が痛いとご飯が美味しく食べられない。
しくしく。
能楽のお稽古をして、大学でゼミをやって、杖道のお稽古をして、家にもどって「キムチ煮込みラーメン」を食す。
白川静『漢字百話』を読みながら寝る。

白川先生の本を読むと、漢字というのはほとんど全部が呪礼にかかわるもので、古代人というのはもう明けても暮れても呪鎮の儀礼ばかりやっていたようである。
少し前の私であれば、「ほんとかね」と懐疑したであろうが、いまの私はごりごりの「葬制主義者」であるので、白川先生のご説を拝聴しているのである。
神戸新聞から「いまどきの昭和ブーム」の理由について解説をお願いしたいというインタビュー依頼が来たので、さっそく「呪鎮説」によるでたらめ解釈を縷々申し上げる。
いま流行しているのは1970年代の風俗らしい。
なるほど。1970年代を呪鎮せんとしているのであるか。
70年代というのはどういう時代だったのか、ということが取材にこられた60年代生まれの記者の方にはどうもぴんとこないようである。

「輝かしい高度成長の時代、ということですか?」

そうではございませんよ、お若い方。
あれはとても「恥ずかしい時代」だったのです、ということをお話する。
その前のシクスティーズというのは、ある意味でグローバルな時代であった。
政治でも文学でも音楽でも映画演劇でも、日本でやっていることはダイレクトに世界に繋がっていた。
『朝日ジャーナル』を読むと、世界中の若者たちが「先週やったこと」が報道されており、それは私たちが「先週やったこと」とあまり変わらず、私たちと世界はほとんどリアルタイムで連動していたのである。
それが1970年を迎えてがらりと変わった。
若者たちは街頭から「四畳半」にもどって、そこに逼塞した。そして「神田川」を聴きながら「おでん」なんかを女の子を差し向かいで食べながら、「いつまでも、こうしちゃいられねえよ」と暗くつぶやいたりしたのである。
世界中の若者がいっせいにドメスティックになったのが70年代であった。
みんな内側を向き、足下をみつめ、身体感覚が受け容れるものしか受け容れないようになった。
お酒がひどく身にしみ、音楽がひどく身にしみた時代であった。
そんな時代をいま人々は回顧している。
なんのために?
未来社会のモデルとして?
まさかね。
理由はひとつしかない。『アメリカン・ビューティ』でケヴィン・スペイシーが70年代に回帰したのと同じ理由だ。
死ぬためである。
死ぬ前に、自分の欲望の原点をチェックしに戻ったのだ。
あれから30年、私が求めてきたものはなんだったのか?
酔生夢死の30年間、いったい何だったのか?
その答えが70年代にあるような気がして、そこに戻ろうとしている。

1970年はひとつの歴史的転轍点である。
1945年にいちど「大日本帝国」の時代が封印された。
1970年にもういちどこんどは「戦後民主主義」の時代が封印された。

そのあと、「恥ずかしい日本」の時代が始まったのである。
私たちはいまその三度目の封印に立ち会おうとしている。
なんのために?
だから、死ぬためである。
この時代に引導を渡し、この時代を封印するためである。
私たちは「リセット」しようとしている。
リセットするときには「どこに戻すか」という問題がある。
そのとき、みんなが選んだのが1970年だったのである。
前回の「葬式」の時点にまでもう一度立ち戻り、その分岐点からこんどは違う道をたどってみようとしているのである。
なかなか悪くない着想だと私は思う。
1970年から再スタートして、時代を逆行してゆく。
私の夢想の中で、日本がいちばんよかった時代は1958年(昭和33年)である。
毎年、生活はゆたかになり、家の中には笑いが絶えず、戦後民主主義はまだ元気で、自然はまだ汚されていなかった。
日本の再建を担ったのは明治生まれの人々だったから、江戸時代はまだ「すぐそこ」にあったのに、ラジオからはエルヴィス・プレスリーが聞こえていた。内田百間も小津安二郎もアルベール・カミュも現役ばりばりだった。
あの時代に戻りたい。