金曜は甲野善紀先生の朝日カルチャーセンターの講演、土曜は難波の講習会。
すでに甲野先生のホームページの「随感録」では「岡山のM氏」という名で何度も紹介されていた「生きる伝説」内家武学研究会の光岡英稔師範の超人技を生で拝見し、身体で実感することになった。
思えば一年前のこのカルチャーセンターの講演で私ははじめて甲野先生にお目にかかったのであるが、それから一年間に「あれよあれよ」という間に「甲野ワールド」に魅入られ、謎の医学生白石さん、スーパー精神科医名越先生、丸亀の「地上最強の呉服屋」守さん、剣豪作家の手裏剣レディ多田さんといった甲野門下の逸材のみなさんに辱知の栄を賜ることになった。
そのご縁には改めて感謝しなければならない。
前回の丸亀「うどん」ツァーのおみやげに守さんから頂いた「光岡ビデオ」に仰天して、この日のくるのを楽しみに待っていた。
甲野先生をして「人間技ではありません」と言わしめた光岡さんの壮絶な発勁と、その南風のような温かく包容力あふれる「太平洋的風貌」に接して、しみじみとご縁のありがたさを感じたのである。(あやうく「むち打ち症」になるところであったが)
甲野先生にしても光岡さんにしても、私がその教えに感動するのは、「まったく知らないもの」を開示されたというよりは、私がこれまで多田先生から学んできた合気道の術技について、「ああ、そういうことだったのか!」という深い理解を与えてくれるからである。
光岡さんは、武術とは、人間が本来持っているはかりしれないポテンシャルを開花させるための「よりよく生きる技術」であり、その修業は外側から何かを付け加えるのではなく、人の蔵する潜在能力の開花を妨害するさまざまの夾雑物を、薄皮を剥ぐように一枚一枚取り去ることに尽きると語っていた。
すてきな考え方だ。
私はそれとほとんど一言一句違わないことばを多田先生から何度もお聞きした。
光岡さんの稽古の基本は、站椿功(たんとうこう)である。
站椿功とは「ただ立つ」、それだけである。
じっと立って、身体の「内側」をみつめる。
じっと立っているうちに、身体が自律的な運動を始める。それを見つめ、感知する。
ただそれだけである。
そうやって筋繊維のひとつひとつ、骨格のひとつひとつ、細胞のひとつひとつを無数の「セグメント」にばらして、全身の勁道を通す。そして、無限のひろがりをもつ体軸が身体を貫くのである。
微笑むように口元を緩めて、自然に呼吸する。目付は遥か太平洋の水平線を望み、耳は遠くの鳥の音や葉音のそよぎを聴く。
これは私たちが多田先生から学んだ「安定打坐」の原理とほとんど変わらない。
その練功の身体技法も私たちが学んだ呼吸法(呼吸合わせ、阿吽の呼吸)のかたちと似たものをいくつも含んでいる。
光岡さんは、「私がやってきた稽古とはこれに尽きる」と断言されていた。
発力発勁は、功によってどれくらい気が練れたのかを「チェックする」ためのものであって、それが目的ではない。外からの加撃を無数のセグメントに分散する技法が推手であり、無数のセグメントの力を一つにまとめるのが発力発勁であり、それは同じプロセスの裏表であるという説明に私は「そ、そうだったのか、やはり」と深く深く腑に落ちたのである。
站椿功を光岡さんは15歳から今日まで15年間欠かさず稽古され、ハワイにいるときは一日八時間されていたという。それを苦行としてされていたのではなく、愉しくて時間のたつのを忘れてそうなってしまうのだそうである。(光岡さんはまだ30歳なのだ! 甲野先生が、「これから先どれくらい強くなるのか想像もできない」と言われるのもうなずける)
光岡さんは王向斎の意拳をベースにして、カリをはじめとするさまざまな格闘技術をミックスしたオリジナルな武術の体系を創出しつつある。
その哲学的で精緻な武術理論とリアルでクールな技法が温顔の青年のうちに矛盾なく同居しているという大洋的なスケールに、私は圧倒された。
甲野先生は昨日の講演会で、このような達人が若い世代から出てきたという事実に驚き、さらに、その人が現代日本の武道界においてまったく無名であるという事実に重ねて驚いておられた。
甲野先生のご縁で、いま、この機会に光岡さんに出会えたことはほんとうに幸運であった。これをして「武運」と称するのである。(ウチダは武道は弱いが、武運は強い)
さて、明後日はその甲野先生の講習会。
学外からも京大合気道部の「天才赤星」はじめいろいろな方が参加されるようである。
不思議なもので、こちらの身体にガタがきて、武道家として「終わり」になりかかってきたころに、武道上のご縁がどんどん広がってくる。
ほんとうに不思議なものである。
(2002-11-23 00:00)