11月12日

2002-11-12 mardi

大学の帰り道に芦屋のリージョン・ハウスに寄る。
御影のマンションの契約更改の季節なので、引越しすることを知らせるためである。
ここのA木さんという営業マンには90年に最初に芦屋の山手山荘を紹介してもらって以来二度お世話になっている。

「るんちゃんはもう大きくなったでしょうね?」

もう二十歳になって、いま東京ですとお答えする。

「じゃあ、先生はいまお一人で?」

贅沢だけど、一人で3LDK80平米のところで暮らしているわけで、これがいきなり2LDK50平米ということになると、いくら「家財のないウチダ」でも本と家具に埋まってしまう。
加えて、母親が「歩いていけるところにデパートがあるところに引っ越せ」というむずかしい注文をつけてきている。
でも、こういうスペシフィックな条件をつけると物件の検索は逆に簡単である。
条件を満たすものはとりあえず芦屋に5件。
国道二号線の近くとJRのきわは騒音と震動があるのでオミット。残る阪急北側に1件よいのがある。
芦屋神社の下の方で、イカリ・スーパーから歩いて三分。(ということはかなぴょんの家からも歩いて3分)。飯田先生も宴会のあと歩いて夙川のおうちまで帰れる。芦屋の大丸まで徒歩でいける。
このマンションにはいま3LDKの空きがないので、出たら連絡してくださいとお願いする。

引越のことを考えるとなんだかワクワクしてくる。
どうして、世間の人は家なんか買ってしまって、住みかを固定することにあれほどいそしむのであろうか。ウチダにはその心情がまったく理解できない。
住むところなんて、洋服と同じである。
趣味も変わるし、サイズも変わし、懐具合も変わる。
それに合わせてどんどん変える、というのが住みかに対する正しいマナーではないのだろうか。
前にも書いたが、私は19歳からあと13回引っ越しをした。(こんどが14回目)
1カ所の平均滞在期間は2年半である。(芦屋の山手町に8年いたのが最長記録。いちばん短いのは久品仏と武庫之荘で、半年)
楽しいんだけどなあ、引っ越し。

家に帰って、『映画脚本家 笠原和夫 昭和の劇』の書評を書き上げる。
これはたいへんにおもしろい本ですので、「オススメ」。
『仁義なき戦い』の次はオルテガ。イ・ガセーの『大衆の反逆』の書評にとりかかる。
新聞社の書評担当デスクのファイルに、私はいったい「何の専門家」として分類されているのであろうと考え込んでしまう。
むかし英仏語の翻訳バイトをやっていたころ、翻訳会社の「翻訳者リスト」を覗き見たことがある。翻訳者ひとりずつの「専門」と「相場」が記してある。
私のファイルを見ると、「専門」は「なんでもやる」、「備考」に「仕事は粗いが、速い」、「相場」は「最安値」であった。
あれから30年間たったが、相場が上がっただけで、あとは何も変わっていない。

『大衆の反逆』をひさしぶりに読み返す。
実に面白い本である。
1920年代に「大衆」がそれまで「貴族」の member's only だった場所(ホテル、ヴァカンス地、劇場など)に大挙して繰り出してくる。

「なんだよ、こいつら。どこから湧いて来たんだよ。なんで、おれらのまねすんだよ」

という「貴族たち」の困惑と怒りが『大衆の反逆』の原体験にはある。
その「みんな同じ顔つきして、雪崩打つように同じ方向に駆け出して行くこの連中は、いったい何を考えてるんだろう?」という恐怖と嫌悪は、その3年前のハイデガーの『存在と時間』にも横溢していた。

オルテガがだいきらいなのは「社会が均質化してゆくこと」である。
異質なものが共生する社会、「敵と、それどころか弱い敵とさえ共存する最高に寛大な制度」のために、自己犠牲を厭わず、対話と礼節をまもる「市民」(civis) たち、それがオルテガの「貴族」なのである。
すてきな考え方だとウチダは思う。