11月9日

2002-11-09 samedi

晶文社の安藤さんと電話でお話しているときに、ふいに私が「なにもの」であるかが分かった。
私は「葬儀屋」だったのである。
私がやろうとしているのは、「死んだ人」に向かって「あなたはもう死んだのです」と告げて、その霊を弔うことである、ということが分かった。

『ためらいの倫理学』の「戦争論の構造」で私は「死者を弔う」という加藤典洋さんの主張に深く共感したということを書いた。
弔うというのは、生きているものを殺すことでもないし、死体に死に化粧を施すことでもない。
そうではなくて、その「遺徳」をただしく顕彰し、しずかに「幽界」にお引き取り願うことである。
「もう死んでいるもの」が現世にとどまっていると、災禍をなす。
ただしく鎮魂し、気持ちよく幽界にお引き取り願うことによってはじめて現世に「善きもの」をもたらすような「もの」が存在する。
戦争の死者はそういうものだ、と私は思った。

同じように、『おじさん的思考』という本は、「おじさん」に対する「鎮魂の書」である。
朝日ニュースターで竹信くんを相手に本の話をしたときに、「あれは同世代の若くして死んだ友だちに対する、私なりの鎮魂の儀礼なんです」とぽろっと語ったことがある。
そのときは不意にそういう言葉が口をついて出たのだけれど、よくよく考えてみたら、たぶんそれはかなり正解だったのだ。
「おじさん」というのは(『期間限定の思想』の最後のインタビューで語っているけれど)、私の父親をモデルにしたヴァーチャル・キャラクターである。
私は父親の「喪の儀礼」をしたかったのだ。
あなたたちの世代はほんとうによくやってくれた。どうも、ありがとう。でも、あなたがたの歴史的使命はもう果たされ、もう誰によってもそれを代替することはできなくなった。
あなたたちは「かつて存在したが、もう存在しない」というかたちで回顧的に語られることで「善きもの」をもたらし来すであろう何ものかである。
その場合は、「ちゃんと死んでもらう」というのがただしい慰霊の作法なのである。
「家庭をたいせつにし、仕事にはげみ、平和を愛し、民主主義を守る」人々はもう「存在しない」。それを「歴史のごみ箱」に放り込むことも、蘇生手術をして甦らせようとすることも、どちらも死者に対しては礼を失している。
「かつて存在したが、もう存在しないもの」に対しては、それにふさわしい礼儀があるだろう。
それは「正しく弔う」ことである。

おそらく私はおなじ礼節をフェミニズムに対しても試みようとして『女性は何を欲望するか?』という本を書いたように思う。
(ただし、「早すぎた埋葬」というのは、ポウが繰り返し書いたように、考え得る最も恐ろしい刑罰であるから、もしかするとフェミニズムに対しては、私はその非人間的暴力を行使しているのかもしれない。どんなに善意の動機からでも、生きながら埋められたら、ふつうは怒るな)

とにかく、そうやって自分の仕事を俯瞰すると、これはびっくり、ほとんど全部が「鎮魂」の儀礼というカテゴリーにあてはまるのである。
その代表的なものは老師の墓前に捧げた『レヴィナスと愛の現象学』である。
なにしろこの領域におけるウチダの肩書きは「レヴィナス研究者」ではなく、「レヴィナス先生遺徳顕彰会会長」なのだから。

そういえば、若い頃からフランス・ファシズムの研究や反ユダヤ主義の研究をしてきたのも、考えてみたら、それを断罪するためではなく、「そういうイデオロギーも、それなりに当時の人たちは、世界をよりよくするためのものだと思って作り出したんだよね。結果はひどいことになったけれど、動機そのものは純粋だったことは認めて上げるよ」という「理解」を示すためにやっていたように思われる。
直感が教えるのは、ほんとうにそういう邪悪なイデオロギーを根絶しようと思ったら、あたまごなしに否定することよりも、「正しく弔う」ことのほうがたぶん有効なのだ。
「ぜんぶダメ」というような包括的な拒否はかえってその「死んだ」イデオロギーがゾンビー化して跳梁跋扈することを許してしまうのではないか。
そのことをたぶんウチダは怖れているのである。(「怖いもの」に対する私のセンサーはたいへん感度がよい)

ためらいの倫理学