9月30日

2002-09-30 lundi

Happy birthday to me
毎年同じことを書いているようだが、今年も誕生日がやってきた。
もちろん誰も祝いに来るわけではない。
しかたがないので、能楽鑑賞で個人的に誕生日を祝う。
宝生の「乱能」。
これは実に愉しいイベントである。
乱能というのは、能楽師のみなさんがいつもと違う役を演じる一種の「遊び」である。
いつも謡と舞を担当しているシテ方が囃子や狂言をやり、囃子方が謡や舞をやり、狂言方がシテや囃子をやり、ワキ方が囃子や狂言をやる。
自分の担当以外のパートをさせてもすごくうまいひとがいるし、もうめちゃくちゃな人もいる。
本業以外のことをさせてもすごい人がいるのを見て感心するたのしみと、本職じゃないことをやってぼろぼろになる人を見て大笑いするたのしみとが同時に味わえる。
乱能では、「まあまあ並の出来」でまばらな拍手をもらうよりは、「ぼろぼろ」になって客にバカ受けする方が出る方は「おいしい」。能楽師といえども、やはり「関西人は関西人」であるから、みなさん「おいしいとこどり」を狙うことになる。その競り合いが面白い。
『翁』(小鼓の成田達志さんの千歳がとてもよかった。あとは大鼓の野村くんのボケぶりが大受け)『船弁慶』(これも小鼓の久田舜一郎さんが弁慶役を実に楽しそうに演じて、静御前の茂山七五三さんとのやりとりで笑いをとっていた)『猩々』(これは七人猩々がでてくるという小書きで、もうなにがなんだか分からない状態)
しかし圧巻は茂山ファミリーと善竹ファミリーがどかどか出てきた仕舞『田村』&『橋弁慶』。茂山一門のパフォーマーとしての底力を見せつけられた。
ぜひ神戸観世会でも乱能をやって欲しいものである。
というわけで、ひとり秋の日を浴びながら、能楽堂に行き、ひとりで日暮れの道を帰り、シャンペンのハーフボトルを抜いて、昼間、大阪能楽会館でいただいたお弁当を食べる。宝生流の辰巳孝さんの米寿の祝の会の「おみやげ」弁当なので、ちゃんとかまぼこに「寿」と書いてあるのがつきづきしい。
ひとりで冷たくなった赤飯をぼりぼり囓っていると、シャンペンの酔いが回ってきて、実によい加減に気が滅入ってくる。
いいなあ、この「もの悲しさ」。
齢知命を過ぎると、こういう切なさがたいへん心身にフィットする。
若い頃はそうではなかった。
誕生日というと、いろいろと計画をして、友だちやガールフレンドを集めてずいぶん賑やかに騒いだものだ。
その頃にもし誰も祝ってくれない誕生日があったら、きっと切実に寂しかっただろう。
いまは別に何とも思わない。
インターネットメールや携帯メールに「ハッピーバースデイ」コールがいくつか来たり、るんちゃんから電話で「おめでとう」と言ってもらったりすると、うれしいけれど、うーむ何がめでたいのであろうか、とちょっと考え込んでしまう。
「誕生日、冥土の旅の一里塚」という感じなんですけどね、本人は。