9月29日

2002-09-29 dimanche

だいぶむかしのことだが、8月5日にマックのパワーブックを衝動買いした。
さっそくインターネットに接続しようとしたら、「ISDN回線につなぐと壊れます」と書いてあったので、そのまま静かにフタを閉めた。
それから六週間ほど放置してあったのだが、わがパソコン道のお師匠さまであるジロー先生がフランスからお帰りになり、「パワーブックの調子はどうかね」とご下問されたので、事情をお話したら、さすがお師匠さま、「なら、先生が設定してあげよう」というありがたいお言葉。
先生のオススメはPHSにつないでコードレスでインターネットを使う方法。
さっそくご多用中の先生を煩わせて日曜の午後に神戸に周辺機器の購入にでかける。
DDIの AirH" というのをのっけて、Office for Mac と Atok14 を買い入れ、ばしばしと設定をすると、またたくうちに夏の間ずっとわが書斎の一隅で洗濯物の下で寝ていたパワーブックがなんだか賢そうなコミュニケーションツールに変容した。
コンピュータ、ソフトなければただのハコとはよく言ったものである。
これで私が所有し、稼働中のパソコンは5台となった。(マックG3、エプソン、IBM、シグマリオンそしてマックG4)。
電話回線も大学ではLANと電話、自宅ではISDN、PHSがDDIと docomo の二回線、それに docomo の携帯。
LAN がダウンしようと電信柱に雷が落ちようと、私のインターネットは二重三重にセーフティネットがかかっているわけである。
どうして私のようなメカにとことん弱い人間がこのように大量の通信機器を駆使することになったのか、それを考えるとまことに不思議なことである。
私はほんとうにメカに弱い。
私にできるのは、スクリュードライバーを回すくらいのことで、それ以上になるともうお手上げである。(半田づけとか、テスターを使って断線を探すとか、オイル交換をするとか、タイヤチェーンをはめるとかいうことさえできない)
はじめてマイバイクを買ったときは、これではいけない。私の自分のバイクくらい自分で手入れができるようになろうと一大決心して、バイクをばらしたことがある。
部品をばらばらにして磨いたあと、もう一度作り直そうとしたら、タイヤがはまらなくなった。
しかたなくそのままずるずるとバイク屋へひきずってゆき「ばらしたら、もとにもどらなくなっちって・・・」と説明したときに、「こいつバカか」といわんばかりのめつきでバイク屋の兄ちゃんにみつめられ、それ以後、メカには手を出さないことにして今日に至っている。
しかし、メカに弱いがメカ好き、ということもある。
家にはAV関係ではDVDとLDとCD(三台)MD(3台)。デジカメに一眼レフに8ミリビデオ二台。自動車一台(四駆でターボ)、バイク一台(TW200)がごろんとしている。
しかしメカの機能が好きなのであって(たとえば、バイクは歩くより楽に遠くまでいける)、メカそのものに物神崇拝的な関心がない。
だからメカをなめるように磨き上げるとか、そういうことは何もしない。
パソコンも同じようなものである。
パソコンがあると便利なので使っているが、「どうしてこんなに便利なのだろう?」というような疑問はまったく浮かばないのである。だからいまだにインターネットの設定ができない。

「DNSアドレスって何?」
「おれのユーザー名? え、ウチダじゃないの?」
「PHSと携帯って何が違うの? え? どっちも携帯電話でしょ?」

というようなことを言って、ジロー先生に深いため息をつかせている。

『期間限定の思想』の二校が来たので、ばりばりと校正をする。
読み返すと、ずいぶん偉そうなことが書いてある。
どうしてこんなに他人に批判的なことが書けるのか考えたら、書いたときは「悪口を書かれている本人が読むわけないよな」と思って書いたからである。
本人が読まないだろうと思って書くと、私はずいぶんイヤミなやつになれるのである。
前に『ためらいの倫理学』にA藤Y子さんのことをかなり手厳しく書いたことがあるけれど、それはまさかご本人がよむわけないよなと思って書いたのである。
ところが、そのご本人がある雑誌で『おじさん的思考』をほめてくれて、「私の最近の愛読書です」とご紹介してくれていたので、青ざめてしまった。
あらー。
悪口なんか書くんじゃなかった。
悪いことしちゃったなあ。
いい人なんじゃん安D優Kさんて。
でもこういうことがあると、この先は、「ご本人が読むかも知れない」ということを考えて書かないといけない。
ただ、こういう自主規制がいいことなのか、悪いことなのか、よく分からない。
さいわい私は「期間限定物書き」で、どちらにせよ、この先はメディアには顔を出さないで、静かに「山場のひと」として余生を送る予定なので、どこかで「ご本人に会う」という可能性はほとんどないから、まあいいけど。

ためらいの倫理学