北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)との国交正常化に向けて一歩が踏み出されることになった。
拉致問題、不審船問題など「喉に刺さった骨」のような案件は残っているが、そういった問題の包括的解決のための方向へとにかく一歩を踏み出した、ということで今回の平壌での首脳会談は、歴史的な評価に値するだろう。
しかし、一抹の不安は残る。
それは、今回の日朝国交正常化に際して、1965年の日韓国交正常化に際しての政治的「失敗」からどれほどの反省材料を政府が汲み出しているか、いまひとつ信用できない、という点である。
日韓の国交正常化も、今回と同じように、北東アジア情勢の安定化を求めるアメリカの世界戦略の一環として、その積極的な介入を受けて進められた。日本と韓国のあいだの国交が正常化され、外交使節が交換され、通商条約が締結され、過去の侵略行為によって侵害された被害の補償と経済協力の取り決めがなされた。
おそらく、今後の日朝正常化プロセスはこの37年前の日韓国交正常化とほとんど同じラインをたどることになるだろう。
しかし、この日韓条約締結に際して、日韓両国で、どれほどの反対運動があったかをある程度以上の年齢の方ならご記憶だろう。日本では65年11月の統一行動には数十万人が参加した。
日韓闘争は60年代末の学生運動の「前奏曲」となった。
韓国の反対運動はさらに激しく、学生運動の鎮圧のために軍隊まで出動した。
なぜ、国交正常化という、誰が考えても「よいこと」にこれほどの反対があったのか。
それは、その条約の歴史的意義についても、その条約制定についていたるプロセスについての情報開示もなく、国民的理解が得られないままに、政略優先、とりわけアメリカの東アジア戦略の一プロセスとして、一部当局者だけのあいだで、秘密裏に水面下で交渉が進められたことに原因があるように私には思われる。
その結果、わが国から韓国への経済協力によって、条約上は韓国への補償は済んだはずなのに、それは現実の韓国国民の実感とは隔たること遠いものとなった。
現に経済協力という名目で韓国に注ぎ込まれた資金は、両国のノーメンクラツーラたちを潤し、一部は日本の企業に環流した。
日本が補償のために出したはずの資金が日本の企業の懐に戻るような算段をしておいて、韓国の国民から「日本からの謝罪と補償」が十分になされたという信義を得られると思っていたとしたらよほど虫のよい話だ。
結局、日韓の対立感情が緩和し、映画や音楽などの領域での「雪解け」と文化的交流が草の根レベルで根づき出したのは1990年代のことであり、ワールドカップ共催で日韓の一体感が(一時的に、また幻想的な水準においてではあれ)経験されるに至るまで、日韓基本条約から実に37年の歳月を要したのである。
この37年は日韓の真の「正常化」にとって、あまりに長すぎる歳月だったと思う。
もっとずっと短い期間で「一衣帯水」の両国のあいだの親和と信頼の関係は基礎づけられたはずである。
なぜ、ここまで時間がかかったのか。
なぜ、国民的交流の扉が開くまでに、その当時の日韓の外交当事者が一世代まるごと死に絶えるまでの歳月を要したのか。
その理由を私たちはもっと真剣に考える必要がある。
結果的に日韓の和解を象徴したのは、「ワールドカップ共催」という「お祭り」や『シュリ』や『JSA』のような映画であった。宥和を牽引したのは、政治でも外交でもない。両国民の「ふつうの生活感覚」である。
最終的に二つの国のあいだの「壁」を崩すのは、政治家の演説でも、外交官の根回しでも、メディアのアオリでも、超大国の天上的介入でもない。「ふつうの国民のふつうの生活感覚」での「親しみ」と「敬意」の醸成である。
国民感情のレベルにおける親和と敬意。それが真に外交関係を基礎づけるものだと私は思う。
例えば、私はアメリカという国が大嫌いである。
超大国でありながら、国際社会におけるあのマナーの悪さはほとんど「幼児」の等しい。
しかし、私はこれまで多くのアメリカ人と個人的に知り合ったが、そのほとんど全員に対して親しみと敬意を持つことが出来た。その結果、私が「アメリカ」という字を見るとき、そこには強権的な「国家」の像と、具体的な顔を持つ「アメリカの友人たち」の像が同時に浮かび上がる。具体的な「アメリカの友人たち」の思い出が、私がアメリカの施策を嫌いつつ、その国を全体として憎むことを妨げている。
日米関係は現在友好的に推移しているが、その最大の理由はアメリカの世界戦略と日本の国益のあいだに密接なリンケージがあるよりむしろ、日本国民のかなりの数が、実際に「ふつうの生活」の中でアメリカ人と知り合い、そこで親しくかかわった経験を持っていることにあると私は思う。
まさにその意味で、日韓の国交正常化は「失敗」だった。
在日朝鮮人の差別問題や、従軍慰安婦問題を考えると、無為に流れた年月はあまりに長い。この「失敗」は両国の政官財トップレベルでの合意と、アメリカの積極的仲介があったにもかかわらず、国民的レベルにおける「親しみと敬意」の醸成のためには、誰ひとり指一本動かそうとしなかったことに起因する。
それと同じことを日朝国交正常化において繰り返してはならない。
今回の日朝首脳会談は外交史的には前段があるようだが、ここ数ヶ月の根回しは、秘密裏に、一部外務官僚たちだけの主導で行われたと報道されている。首脳会談がとりあえず共同声明発表に至ったことで、政官の間には「政治的成功」を祝う者もいるだろう。だが、本当の正常化はまだ一歩も進んでいない。一片の外交文書のやりとりや、軍事行動の自制の約束などによって国交の正常化は基礎づけることができない。
それを基礎づけるのは、両国のあいだに開かれた外交関係を築くことが、両国民にとって「よいこと」であるということについての、「ふつうの国民の生活感覚からの同意」である。
私たちになによりも必要なのは、「親しみが感じられ、敬意をいだくことのできる北朝鮮の人」と個人的に出会う経験である。一方、北朝鮮の国民にとって何よりも必要なのは「親しみが感じられ、敬意をいだくことのできる日本人」と個人的に出会う経験である。そのような国民的共感の上に立たない限り、どれほど文飾華麗な外交的取り決めも、どれほど巨額の経済協力も、両国の関係のために資するところはほとんどないだろう。
そのような「風通しのよさ」だけが真の意味での「安全保障」を担保すると私は考える。
その意味では、今般の拉致事件について外務省がとった「秘密主義」や情報の「小出し」(この間のあらゆる政官財の不祥事に典型的なスタイルだ)や、あるいは多くのメディアが呼号した「屈辱外交」キャンペーンほど流れに逆らうものはないだろう。(こう書いたあとにメディアは小泉内閣の支持率が75%に急反転したことを知らせた。右から左まで、ほとんどのメディアが拉致問題での「政府の弱腰」を罵倒しているなかで、「ふつうの国民のふつうの生活感覚」は、小泉訪朝によって「扉」が開き、そこに「風がとおること」をとりあえず歓迎したのである。私はこの常識に与する。)
(2002-09-19 00:00)