9月17日

2002-09-17 mardi

眠い。
合気道合宿から戻ってきたら全身へろへろで、もう一日使い物にならない。
こういうときは「とりあえずその場所にいっていれば、身体がきかなくても、頭がぼけていても仕事になる」というような種類のことしかできない。
というわけで、免許の更新にでかける。
どういう理由か知らないけれど、免許の更新というのはぜんぜん楽しくない仕事である。
新しい身分証明書がもらえるのだから、何となく「うれしい」気分になってもよいはずなのであるが、免許更新センターにいる人たちは、これ以上ないというくらい無表情であり、むしろ積極的に不機嫌である。
同じ状況にいる人間が数百人いあわせているというのに、隣にいる人間に話しかけて「視力検査って、めちゃいい加減ですな」とか「この交通安全協会の会費を免許の手数料の窓口でさりげなく徴収するというのは一種の詐欺だね」というようなことを言う人もひとりとしていない。
何となく「強制収容所」で順番待ちしているときというのはこういう感じなのであろうかと想像する。
別に対応する職員が非常に感じが悪いということではない。
むしろ、愛想がいいと言ってもよい。
しかし、その愛想の良さの背後に「立場上、愛想よくしてるけど、わしら警察じゃけんね」という威圧感がじりじりとにじんでいて、「気分が変わったら、いきなり怒鳴りつけたりすることもあるかもしれんけん、おとなしくしとき」という声が勝手に聞こえてくるのである。

たぶん問題はこの「怒声が勝手に聞こえてくる」という私たちの側の「卑屈さ」にある。
免許更新センターにいる「一般市民」の全員に共通するのは、この「自発的な卑屈さ」である。
私がもし「東京でいちばん嫌いな駅」を訊ねられたら、「鮫津」と答えるだろう。
別に鮫津での免許更新に際して個人的に非常に不快な経験をしたわけではない。
しかし、あの駅を降りてぞろぞろと歩いて行く群衆の中に紛れているときの「屠殺場にひかれてゆく家畜」になったような気分はどうしても忘れられない。
自分が非常に矮小で、利己的な人間になったような気がするのである。
そんなの考えすぎだよ、と言われてもそういう気がしちゃうものは仕方がない。
無言で列をつくって、何かを査定され、そこで「摘発」されて列から引き出されて行く人間をみんなが無言で見送る、という状況が私は心底嫌いなのである。

そのトラウマの原点の一つに1974年の羽田空港での事件がある。
その年、私は生まれた始めて海外旅行をした。
夏休みを使ってフランスに卒業旅行にでかけたのである。
そのころ、連続して各国でハイジャックがあり、そのせいで羽田の出国審査の荷物チェックはヒステリックなまでに厳しかった。
そのときトランクをずるずるひきずって出国審査の列にならんだとき、私の前にいたのが誰あろう、あの「モリ・ハナエ」さんだったのである。
わあ、きれいな人だなと思って眺めていた。
そのときに出国審査の若い職員が彼女に向かって「トランクを開けて、中身を全部見せろ」と命じたのである。
私はびっくりした。
だって、モリ・ハナエだぜ。
パリコレに行く人がハイジャックするわけないじゃん。
モリ・ハナエさんもそれを聞いて青ざめていた。
しかし職員はトランクを容赦なく開いた。
私が目をまんまるくしている前でモリ・ハナエさんの瀟洒なトランクががばっと開かれて、夢のように美しい彼女の衣類が溢れ出てきた。
空港職員はその衣類を手づかみでかきわけた。
そして私は「モリ・ハナエさんの下着の趣味」がどういうものであるかを目撃するというきわめてレアな機会に浴したのである。(もちろん私がこれまでに見た中で最高にシックで品のよいアンダーウェアでありましたが)
彼女は屈辱感でわなわなと震えていた。
彼女の屈辱感は私にも伝わった。
そして、彼女の屈辱感が私のトラウマとなったのである。
こういうのはよくない、すごくよくないぞ、と私は思った。
あれから30年経つが、いまでもそのときの胸の痛みを思い出す。『シンドラーのリスト』みたいな映画を見ると、そのときの動悸が蘇ることがある。

それと同じ種類の痛ましさを免許更新のたびに感じる。
列を作って何かを審査されるということを私がこれほど嫌うのは、たぶんその原体験(といっても私の体験じゃないんだけど)のせいではないかと思う。
明石の免許更新センターのみなさんには何の罪もないんですけどね。