9月13日

2002-09-13 vendredi

『ミーツ』の江弘毅編集長は「岸和田だんじり」のさる町内の若頭というダイハードな知識人であり、あらゆる思想的問題をすべて「だんじり」のターミノロジーで語りきるという特技を持っている。この特技の社会的意義については毀誉褒貶があるが、それは今は論じない。
とにかく、去年の秋に電撃的に岡田山に、「ジャック・メイヨール」の「哲学するソムリエ」橘真さんとともに登場して以来、ウチダの中には「岸和田だんじり」というものがなぜかくもひとりの人間を根底的に捉えて放さないのか、という問いが答えを求めて存在したのである。
そこで、「山場の思想家」であり、買い物以外には街へ出ない人間であるウチダも、江さんの思想的ルーツを確認すべく遠く泉州岸和田へ足を運んだのである。
今回のガイドは「エルプリュスの夜会」で辱知の栄をたまわった江さんの朋友ホリノコウジさん。関西に来て12年になるのにはじめて行った「南海なんば」駅からはじめて乗った南海電車で岸和田へ。現地で橘さん率いる「街レヴィ派」のみなさんと合流。
70万人が集まるだんじりの本番は14、15日であり、今日は2時間だけの「試験曳き」。
観客は地元のみなさんだけ。その分目の当たりで「だんじり」のエッセンスだけ拝見できる。本番前に今年だけですでに死者2名という壮絶なお祭りであるからうかつなコメントはできないが、江さんがあれだけ没入することの理由は分かった。
「共同体」というのが、個体の契約的集合体ではなく、ある種の「巨大な魚」のような、固有の生理を有した独自の「生き物」になるということを私は経験的に知っているが、そのようなものを現物で見たのは30年ぶりのことであった。
そうか、「あれ」は「だんじり」みたいなもんだったのか。なるほど。

(その夜の夕刊には、私たちが去ったあとの「カンカン場」でだんじりが横転して三人目の死者が出たことが報じられていた。お祭りというのはなるほど命がけで遊ぶものである)