9月5日

2002-09-05 jeudi

湯郷温泉での「七回忌」ツァーを終えて、岡山に戻る伯母を送ってから、母、叔母、従兄といっしょに中国道を神戸へ戻る。
母と叔母は今夜は六甲山ホテル泊まり。ふたりとも摩耶小学校出身の「もと神戸娘」なので、このあたりはいろいろと懐かしいらしい。
母たちの旧宅は私が今住んでいる御影から少し西、六甲と王子公園のあいだの北側にあったそうである。私は不動産屋に案内されてうろうろちしているうちに、70年前に母がいた場所の近くに引越してきてしまったわけである。
こういうふうに気がつくと「何となく縁のあるところ」に住んでしまうというのが人間の不思議な感覚である。
「次はどこに住もうかな」というふうにアンテナを立てていると、「何となく」呼び寄せられるように、ある土地にたどりついてしまう。
私が賃貸を好む理由の一つはそれである。
人間はそのときどきに「そこに住むとよい」場所というものがある。
それは一定しない。
ご縁のある場所に、ご縁のある期間だけとどまるというのが適切な「住む」作法であると私は考えている。(比較するのもおこがましいが、漱石山房も観潮楼も「借家」である。そもそも漱石と鴎外は「同じ借家」をそれと知らずに相前後して借りたことまである。それってやっぱり「傑作を書くのにふさわしい家相」というものを文豪たちが感知したということではあるまいか)
だから、一箇所に根を下ろして・・・という生き方をする人が何を求めてそうするのか私にはよく理解できない。
親子代々の田畑があるとか、山林があるとかいうなら分かるけれど、せっかくどこに住んでも自由な身の「自由民」がわざわざローンを組んで、定住したがるのはどうしてなのだろう。
飽きない?
私は一箇所に数年いると飽きてくる。
だからこれまでに引越しをずいぶんした。

下丸子(家出)→東武練馬(出戻り)→下丸子(一家で引越し)→相模原(大学入学)→駒場東大前(寮から追放)→野沢(夜逃げ)→お茶の水(コミューン崩壊)→平間(同居人が逃亡)→自由が丘(1)(兄と同居)→九品仏(兄が出奔)→自由が丘(2)(結婚)→尾山台(出産)→上野毛(転勤)→芦屋(震災)→武庫之荘(マンション改築)→芦屋(大家さんのご都合で)→御影

こうやってリスト化すると、なかなかせわしない人生である。
最初の家出先の東武練馬の四畳半が流しとガス付きで7、500円(月収15000円、よく生きていられたなあ)。大学時代の自由が丘が6畳、台所トイレ付き(自作シャワー付き・ただし水しか出ないので夏のみ)16000円。尾山台のマンションが2Kで75、000円。上野毛が3Kで120、000円。(バブルのころだからやたらに高かった)。いまの御影が155、000円(3LDK、地下駐車場、トランクルーム付き)
こう見ると、家賃というものはあまり上がらないものである。(80年代に比べて、家賃は月額3万上がっただけ。給与の方はもう少し上がっている。)
いまの御影も来年の3月で契約更改なので引っ越す予定である。
静かだし、海も見えるし、まわりの住民はフレンドリーだし、言うことはないのだが、山の上なので、車がないと身動きならない。
母をときどき招きたいのだが、「平地じゃないと膝が痛いからダメ、歩いていけるところにデパートがあるのが望ましい」というむずかしい条件をお出しになっている。阪神間で条件があうところというと、芦屋しかない。
というわけでまた90年4月から8年半暮らした芦屋に戻る予定である。
17回目の引越。
一生で見ても、定住期間の平均が3年。20歳からあとだけとると、平均2年である。
すごいペースだ。

私が引っ越しを厭わない理由の一つは「家財が少ない」ことである。
るんちゃんが出て行ってからは、棄てるばかりで、ほとんど新規に購入しないので、家の中はさらに一段と「スカスカ」になってきた。
加えて私は学者としては異常なのだが、本を持たない人間である。
ふつう私くらいの年齢の同業者は「書庫問題」というもので頭を悩ませるのがつねであるが、(コンクリート作りの地下室を作ったりする人もいる)私の蔵書数は「そのへんの大学生程度」である。
商売柄、朝から晩まで本を読んでいるにもかかわらずこれほど蔵書が少ないのは、実は「同じ本を繰り返し読んでいる」からなのである。
古今千人の賢者の書いた本が揃っていれば、それを繰り返し読んでいるだけで、おおかたの問題については人間がどの程度までものごとが分かっているかは分かる、というのが私の持説である。
座右において再読三読昧読耽読に値する書物を書く人は、東西を通じて大目に見てまず一年に一人。(それでも多すぎるくらいだ)
だから、十年で十人、一世紀で百人。むかしの本は散逸しているから、有史以来で千人。
司馬遷からフィッツジェラルドまで、プラトンからレヴィナスまで入れても、まあ、そんなものであろう。
その千人について代表作を一冊読んでいれば、およそ人事にかかわることのほとんどについて基本的な知見は学べる。そう私は考えている。
これらの賢者が言及しなかったような論件は、まあ「どうでもいい」ことである。
「新潮文庫の100冊」でCD一枚。なら「古今の賢者の1000冊」はCD十枚に収まる勘定である。

服はどんどん棄てる。
一シーズン着なかった服は、翌シーズンも以降着ないデッドストックになる確率が90%以上なので、シーズンに一度も袖を通さなかった服はそのまま棄てる。
また私は「コレクション」というものをしない人間なので、そういうものは何もない。
さらにウチダは過去を振り返らない人間なので、写真も手紙も大掃除のときになると、まとめて棄ててしまう。(私に手紙を書いたり、写真の焼き増しをくれたりする人がいるが、そういうものは年末に古新聞といっしょに「廃品」となって回収されてしまうのである)

というふうに「ものを持たない」主義であるがゆえに、引越はあまりウチダにとって面倒な仕事ではないのである。
次回の引越では、過去4年間、御影居住期間内に利用しなかったすべてのものを棄ててゆく方針である。
この調子でゆけば次の次に引越をするときは2トントラック一台まで家財を絞り込めるであろう。
私が二十歳で駒場寮を出て野沢に移ったとき、荷物一式がカローラの後部シートに収まった。
でも、それだけで毎日を愉快に暮らすには十分だった。
六十歳までかけて、なんとか二十歳のレヴェルにまで「戻し」たい。