終日さくさくと原稿書き。
「アメリカン・ミソジニー」を『映画の構造分析』用に書き直す。
『映画の構造分析』(これは自分でいうのも何ですが、面白いです)は晶文社から来春刊行予定なのだが、枚数が少し足りないので、あと100枚ほど書き足すことになっている。
『ミソジニー』で50枚書いたので、残り50枚。
これは、『ライアンを探して』Looking for Ryan "Privately" という題名で『史上最大の作戦』と『プライヴェート・ライアン』の比較論を書く予定。
『カイエ・ドュ・シネマ』派の諸君のいうところの「第四の側面」とか「縫合」とかいうわっかりにくーい(ジャック=アラン・ミレールが言い出したことだそうである。さもありなん)話を、噛み砕いてご説明して、「なーんだ、そんなことだったのか」とご得心いただこうという趣向である。
『史上最大の作戦』の原作者はコーネリアス・ライアン。たぶんスピルバーグの映画はこれを意識したんだと思う。スピルバーグはオマハビーチまで「個人的にライアンを探しに」行ったのだ。こう質問しに。
「ねえ、ほんとうの戦争って、どんなものなの?」
原稿を書き終えたら、『北の国から』の総集編をやっていたので、それを見て、もらい泣きをする。
岩城滉一の突然の死にともに涙。(私はこのシリーズでは、この「草太兄ちゃん」という粗忽でワイルドで情の濃いキャラクターがいちばん好きであった)それにしても吉岡秀隆くんも中島朋子さんも田中邦衛さん宮沢りえちゃんも、実にみごとに泣くものである。うるうる。
大学のAVライブラリーに全巻揃いであったから来週から「一挙上映」しようかな。
しかし、「ヒッチコック一挙上映」の次が「『北の国から』一挙上映」というのも、なんだかとりとめのないレパートリーではある。
もらい泣きをしつつ机の上の手紙類を整理していたら、文藝春秋臨時増刊のT中さんから原稿依頼の手紙が来ている。(メールじゃなくて、直筆の手紙を書いてくるところが、若いに似ず礼儀正しい。そういえば風貌もどことなく「明治の青年」風)
原稿のお題は「日本人の肖像 このすがすがしい生き方・いかに生きたか いかに生きるか」。
ウチダのような「すがすがしい」というよりは「暑苦しい」人間に向かって、「いかに生きたか いかに生きるか」の指針を求めてくるというのも、実に果敢というか無謀というか。しかも対象読者層は50代から60代の「おじさん」たちである。私のような若造にいかなる説教をせよというのであろうか。
しかし、あらゆるオッファーに即座に笑顔をもってお答えするのは、「期間限定」期間内におけるウチダのプリンシプルである。
ただちに筆を執り、さくさくと六枚の原稿を書く。
所要時間40分。
「期間限定物書き」を廃業してしまうと、こういう類の「時給10万円バイト」がなくなってしまうのが惜しい。
だが、ウィスキー片手にキーボードを叩いて、時給750円のバイトの子たちが80時間かけて得る金額を40分で稼いでしまうというような「でへへ」な生き方は、人間として「いかがなものか」とウチダは思う。
そういうことを続けていると、人間はだんだん「世間を舐めた」態度をとるようになってくる。
ウチダはただでさえもともと「世間を舐めた」生き方をしており、その点についてはすでに関係各方面からきびしいご批判を頂いている。
そこへきて、このような「でへへ」が続けば、遠からず「世間を舐めきった」人間になることは必定であり、その際には「きびしいご批判」どころか、「たいへんきびしいご批判」の十字砲火を浴びて、私ひとりのみならず親子兄弟親族一同、世間の眼をはばかってどぶ板を這って歩かなければならない仕儀に至ることは火を見るより明らかである。
というわけで、「らくちんバイト」で荒稼ぎすることについては吝かではないのであるが、これ以上「世間を舐めた」生き方をして天罰のあたることをウチダは恐れるのである。
(とかいいながら、年末までは高額時給バイトに励むのである。「『世間を舐めている』といっても、期間限定なんですから、そこはお奉行さま、ひとつオメコボシを・・・」という「越後屋」的態度そのものがまことに「世間を舐めている」という他ない)
(2002-08-30 00:00)