8月19日

2002-08-19 lundi

東京へ。今回はお仕事関係ツァーである。
12時東京駅着。タクシーで朝日新聞本社へ。
竹信くんと久闊を叙しつつ、とりあえず築地場外の食堂にて「まぐろ・ねぎとろ定食・深川飯」というものをごちそうになる。
ウチダは東京に40年もくらしていて、築地場外というところにくるのはこれがはじめてである。ほんとうにどこにいても、どこにも行かない人間である。
さすがに旨い。
ビールをのみたくなったが、これから「おつとめ」があるので、そうもゆかない。
社にもどってお茶をしてから、打ち合わせ。
朝日ニュースター「記者の視点」という竹信くんがホストをしているトーク番組のゲストとしてお招きいただいたのである。
TVというものに出るのはこれが始めてである。(たぶん最後であろう)
さすがに竹信くんはレギュラー番組をもっているだけあって、手際よく「ニュース解説」をこなし、そのあとゲストコーナー13分間。
「エルプリュスの夜会」と同じで、いつもおしゃべりをしている友だちと、いつものようなおしゃべりをする。違うのはTVカメラが前にあって、「あと3分」というような指示があることだけである。
いろいろとスクリプトをつくってご用意いただいたのであるが、結局、その場で思いついた話をしてしまう。
「かねて用意ののストックフレーズを語る」というのはコミュニケーションの作法としては、よろしくないよね、という話をしているので、「かねて用意の話」をするわけにはゆかない。
だんだん舌のまわりがよくなってきたと思ったら、もうおしまい。
なんだか変な番組になってしまった。申し訳ない。
とりあえず無事TV初出演を終えて、ふたたびお茶。
お茶のときの方が圧倒的に話が盛り上がって面白いのであるが、まるでTV放映向きの話題ではないので放映できないのが残念である。

次は渋谷で松下、石川両君と待ち合わせ。内輪の株主総会。
ビジネスの現況についていろいろと情報をお聞きする。
巨額の創業者利益を得る予定であったが、ITバブルもはじけ、アメリカ型ビジネスモデルもほころびが目立つ昨今、われわれの「富豪化計画」もいささか微妙な風向きだ。
両君にはがんばっていただいて、ウチダにスーパーリッチな老後をもたらしていただきたいものである。頼むよ。
いずれにせよ、全員そろそろ「リタイア」について真剣に考える年回りになった。
「隠居」というのは、なかなか難事業である。
これはある意味で、社会的なプレスティージが一気に下がるということである。
社会からの評価と自己評価のあいだに「ずれ」があると、「人々はどうも私に対する敬意が足りない」というODS症候群(「おれを・だれだとおもってるんだ・症候群」@竹信悦夫)というものが発症することになる。
ODS症候を発症すると、てきめんに「ボケ」が始まる。
というのは、「ボケ」というのは、一面から言うと、「コミュニケーションにおける情報摂取の選択の偏り」のことだからである。
ご説明しよう。

私たちはふだんでも「自分の判断と背馳する情報」を過小評価する傾向にある。
昨今の企業不祥事のすべてに共通するのは、経営陣が「自分たちの情勢判断に反する情報を過小評価、場合によっては否認した」ということである。
これは「ボケ」の典型的な徴候である。
同じことは、若い人にでも起こる。
自分が聴きたくない言葉については、私たちの耳は選択的に「難聴」になり、自分が見たくないものについては、私たちの目は選択的に「盲目」になる。
これはある意味では自我防衛上の自然なのであり、心身がへたっているときには、誰でもおそうやってディフェンスするのであるが、外界の情報を選択的にオフにする自己防衛は、自分自身が「そういうことをしている」という意識を保っていないと、すぐに習慣化し、自動化する。
それが高じると、周囲の人みんなに聞こえていることが聞こえず、みんなが見えているものが見えないということがしだいに頻発するようになる。
これは若くても立派な「ボケ」である。
しかし「ボケ」が一種の自己防衛である以上、教条主義的に「ボケるな」と言われても困る。
私たちにできるのは「生存戦略上、意図的にボケをかましている」ということを本人がつねに意識しているということである。
私は自分に対する批判にはいっさい耳を傾けず、私に好意的な人々にのみ選択的に愛想をふりまくという典型的な「ボケ老人」であるが、唯一の救いは、「そのことを知っている」ということである。
ボケない秘訣というものがあるかどうか定かにしないが、ひとつだけ分かるのは「批判の音量」が高すぎると自己防衛の必要上、どうしても「ボケ」の進行がすすむということである。
だから、できるだけ温良なる人々とにこにこ暮らしている方がいいと思う。
そうすれば、感受性の回路をオフにしていなくても大丈夫だからね。